琉球國 那覇 大道
ヤドカリ・ハウスに来てはや、まる4年になろうとしている。
2009年秋10月、友人にもらった真っ赤なVWゴルフのステーションワゴンに、遊び道具から絵描きの道具、パソコンをはじめ仕事の道具、ギター2本、鍋カマ・キッチン用具、そして衣装類の数々を隙間なく詰め込み、組み上げたフォールディング・カヤック「ベルーガ」の中に、ウッドWパドル3本とキャンプ道具の全てをブチ込み、担ぐだけ担いだ積載オーバー・シャコタン状態で、東京〜若狭湾〜神戸〜琉球・那覇へと流れ着いたのだった。
4年とはいえ、1ヶ月のうち、そのほとんどは理由(わけ)あって東京〜奄美の活動に重きがあり、那覇のヤドカリ・ハウスには月平均5〜6日間の滞在でしかなかった。
約10年間にも及んだサバニ活動も、旅仲間7〜8人による2010年の与那国〜西表〜石垣〜宮古〜350km航海、一昨年2011年の沖縄〜奄美〜トカラ〜宮崎(日南)油津港〜840kmの単独(伴走船無し!)サバニ旅・大航海にての到達感により、サバニへの情熱が今現在、一時的に少し冷め始めている。というより、新たな、もっと自由で素朴、かつ男たち少人数での自立したサバニ旅を模索している、と、個人的には考えている。
昨年、フォールディング・シングル・カヤックで7〜8日かけ奄美・カケロマの海を漕いだ。久しぶりのパーソナルな、自由で自立した自己完結・海旅でその事に目覚めた。
嗚呼、我が師匠よ 永遠なれ!
オーストラリアに旅立った娘の置きみやげで今現在、半分「物置」と化した琉球ヤドカリ・ハウスだが、5本のギターに囲まれた残り半分の秘密基地的小部屋は、しっかりとそのパラダイス機能を維持しているのだった。
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