2017年12月12日火曜日

Imagine


Imagine


Imagine there's no Heaven
It's easy if you try
No Hell below us
Above us only sky
Imagine all the people
Living for today...

Imagine there's no countries
It isn't hard to do
Nothing to kill or die for
And no religion too
Imagine all the people
Living life in peace

You may say I'm a dreamer
But I'm not the only one
I hope someday you'll join us
And the world will be as one

Imagine no possessions
I wonder if you can
No need for greed or hunger
A brotherhood of man
Imagine all the people
Sharing all the world

You may say I'm a dreamer
But I'm not the only one
I hope someday you'll join us
And the world will live as one



想像して…



想像してごらん 天国なんて無いんだと
簡単でしょう?
地面の下に地獄なんて無いし
僕たちの上には ただ空があるだけ
想像してごらん
全ての人々が
今日という一日を 生きていることを...


想像してごらん 国なんて無いんだと
そんなに難しくないでしょう?
殺す理由も 殺される理由も無く
そして宗教さえ無いことを...
想像してごらん
世界中の人々が 
平和の中で今という時を 生きていることを...


僕のことを 夢想家だと言うかもしれない
でも そう想っているのは 僕一人じゃないはずだよ
いつかきみも そしてみんながそう想えば
きっと世界は ひとつになるんだ


想像してごらん 何も所有しないってことを
きみなら 出来ると思うよ
欲張ったり 飢えることも無い
そして 人はみな兄弟だってことを...
想像してごらん 
この世界の全ての人々が
あらゆる物を 分かち合っている世界を...


僕のことを 夢想家だと言うかもしれない
でも そう想っているのは 僕一人じゃないはずだよ
いつかきみも そしてみんながそう想えば
きっと世界は ひとつになるんだ






John
 君の「夢」そしてその想いを
忘れない


2017・12月9日am10:50〜日本時間
(12月8日pm10:50~just NY 時間)



2017年11月13日月曜日

エッ!ここは どこ?

 
 突然のこと!
10月15日の夜、不覚にも救急車にて緊急入院してしまいました…。



 カミさんの目の前で突然気を失い、気がついたら白い壁に囲まれた部屋の中で、両手と上半身が何かでベットに固定され、鼻の中に透明の細いチューブが突っ込まれています。
見知らぬ女性が突然カーテンを開けて現れ「気がつきましたか!ご自身のお名前、わかりますか?」と聞いてきたので「?…イ…イトォゥ~タ・ カ・シです…?」と答えた。しばらくして、男性二人がやってきて、茶色い服を着た先頭の男が女性と同じ質問の後に「ここがどこかわかりますか?」と聞いてきたので「?…わかりません…」と告げた。
 茶色の服の後ろに立つ青い服の男が女性に何かを話しかけ、女性がベッドの右横にしゃがみ込み、 〝ジョボ ジョボ ジョボ …〟と音を立て、小さな容器に何かの液体を移し替えていた。
 その液体の音が頭の中で響く耳元で、その女性が「ここは、トォ~キョ~トリツ、タマ、ソ~ゴ~、イリョォ~、センタァァァ~~ァですよ、ちょっと長いですが覚えてくださいね。」と話しかけてきた。
 “ちょっとじゃないですヨ、それ、そォーとォ~長いですよ…”と感じつつ、覚えきれない私はその病院名を再度女性に聞き直した。(つづく・敬称略)



※フィルダーNo36号連載予定だった、SKETCH OF FIELD vol.18「島後(どうご)」は以上の状況、伊東孝志、人生初めての救急車による緊急入院により、次号フィルダーNo37号の掲載となりました。
フィルダー読者の皆様、また、笠倉出版社ご関係者の皆々様、遅載をどうぞお許しあれ。申し訳無き早漏!


偶然日本に居合わせたオーストラリア在住の
愛娘〜あかね〜の祈りと その愛の手に感謝


2017年9月18日月曜日

放浪のすすめ

 隠岐ノ島・ジオパーク〜島前(どうぜん)の圧倒的パワーの地殻変動体感カヤック旅を終え菱浦港からフェリー「くにが」にて、次ぎなる島後(どうご)の西郷港へと航った。
 視界3〜4kmの霧のなか約1時間の航路を、カヤックで漕ぎ航るときの参考下見ついでに海図と照合しながら、小さな島々や多くの入り江など沿岸を眺めていたらアッという間の1時間が過ぎ、西郷港へ着いたのは午後2時の小雨降るなかだった。
 次号の雑誌「フィールダー」連載にてこの島後・ロックンロールな旅を通して出会いたどり着いた、アパッチ・ジェロニモの魂と、レッドツェペリン的ロックな雑誌創りへの情熱の可能性を報告する。

 
放浪のすすめ 

真実は旅にあり 知ることの喜び



 ジェロニモ と レッドツェペリン
 そして 放浪の喜び





2017年9月3日日曜日

大地の咆哮


 今年の夏、一ヶ月シーカヤック漕いで野宿を繰り返した。隠岐ノ島〜島前・島後にては、とてつもない巨大な感動に出会った。
 島前の大海原を漕ぎ進み、岬を回り込むたびに覆い被さって来るような天地創造の壮大な600万年にもおよぶ地殻変動の残影、そして幾度となく繰り返された大噴火による七重八重に積み重なった圧倒的な堆積層の剥き出しになった地層断面。
 火砕流あとの白色凝灰岩の岩肌が光に反射して真っ白に輝く。噴火による火山灰がいったいどれだけ降り注いだら、そしてどれだけの時と地殻変動の圧力が加えられたらこれだけの堆積層が出来上がるのだろう。その永遠と重なる悠久の時を想うと胸奥が熱くなる。ポンペイ最後の日のヴェスヴィオス大噴火の数万倍の大地の咆哮が聞こえる。
 鉄分を含んだ火山性礫岩が酸素と反応して真っ赤になっている。まるで地球のハラワタがむき出しでうごめいた残像がドクドクドクと脳裏によみがえり近寄ると体のなかの全ての血液が熱く沸騰してくる。

 溶岩が冷えて固まる黒い玄武岩、噴火の火砕流が堆積した灰色の礫岩層。高濃度の鉄分が酸化し真っ赤に変色した赤色礫岩などなど、その層ひとつひとつの圧倒的な数百万年にもおよぶ時間の堆積を想うともう正気でいられない。大地・地殻変動の圧倒的エネルギーに埋没するには充分すぎる質量とその磁波を含めた巨大なパワーに囲まれたのだった。

ウオオッおおォ~ッ! ウオオッ〜〜!!


2017年9月1日金曜日

炎の向こう岸

シーカヤックやサバニで島々を航る旅においても、日々のほとんどは焚き火が基本。薪を拾い、火を熾して湯を沸かし飯を炊く。魚を焼き一汁をこしらえ空腹を満たし、そして茶で一息つく。残り火で暖をとりつつ、燃えゆく熾き火の清く美しい紅の色に、様々な想いと共に言葉なく魅入る。火が燃え尽きるころ残り湯で体を温め、そして星降る浜辺で潮騒の調べを夢枕に眠りに就く。
子供時代の河原の火遊びから、やがて小学56年生になる漂流旅生活のこの歳まで、外遊びの基本は常に焚き火と共に過ごしてきた。


湖の湖畔、中低山の沢や河原、そして海辺の砂浜や磯の大きな岩の上。幾度となく繰り返した焚き火の炎を眺め、あるとき確信したことがある。
 炎の向こう岸……
 「焚き火のむこうに、薪ストーブの炎が燃えている。」






2017年6月14日水曜日

無人島・ハミャ


 奄美大島の南部・加計呂麻(カケロマ)の更なる南に、加計呂麻から見て右手に与路(ヨロ)島,左手に請(ウケ)島の二つの島がある。
国土地理院や海図には、加計呂麻島、与路島、請島とそれぞれ島という漢字が語尾に付けられているが、島の人々、特に老人たちは古くからカケロマ、ヨロ、ウケとしか呼ばない。
 明治の手前・江戸時代の後期までは、奄美はまだ琉球國だった。
 加計呂麻は琉球から見て、大島本島の手前にある大島の影のように寄り添っている島を意味する、カゲヌマ(影の島)が語源で、マ自体が島を表す。
 慶良間諸島のケラマ、波照間のハテルマ、多良間のマ、そしてウルマのマしかり、古き琉球の言葉においてはマ自体が島を意味するので、ケラマ島、ハテルマ島、タラマ島、そしてカケロマ島という当て字は明治以降の日本政府が付け足した地図用表記語なのだ。〜と大正14年生まれの父・伊東賢夫(けんお)が生前、加計呂麻島という言葉を目にする度に「加計呂麻島という言い方はまちがい,カケロマが正しい呼び方!」と、諭すようにつぶやいていた。
 そして、前記のヨロ、ウケの間に小さな無人島「ハミャ」がある。
その無人島は国土地理院や海図には、ハンミャ島と表記されているが、ハミャが正しく、いまでも近隣の島人たちはハミャと呼んでいる。
 海図をひろげてハンミャと呼ぶ私に「ハンミャじゃないよネ、あの島はハミャといって、ヨロ、ウケの間(はざま)って意味なんだよ」と、諭す父の言葉を想い出す。
 無人島「ハミャ」のまわりは潮の流れが強く、大潮の激潮・満干時はなんと4kn(ノット)の流速から70cm〜1mの潮目の段差が波うっている潮の難所でもある。4knとは、漕がずとも潮に乗れば1時間でな〜んもしないで7kmチョイ流されるということなのだ、ヒエェ〜〜。


 とはいえ、毎年この激潮に乗り、われらシーカヤック乗りはこの楽園を目指す。
 なぜって? そこは私たちにとっては,安易に人を寄せ付けない奄美に残された最後の「楽園」なのだから。
 ことしも いくぞぉ〜〜〜〜 風吹く ハミャ へ!


2017年6月10日土曜日

酒瓶と骨壺


 父の七回忌2006年・弔いの宴席用にと、11年前のカーチベ吹くこの季節に、琉球古酒の龍瓶と洗骨・改葬用の骨壺のふたつをサバニに載せ、沖縄から奄美までの荒海250kmを仲間たち3人と漕ぎ航った。
 旅の途中、大島海峡入り口には、波高6m以上の外洋の巨大なウネリが次から次へと押し寄せており、その圧倒的な神々しくも崇高な世界を我等3人は何を恐れるでもなく、横風を帆に受けながら、ただひたすら北へ北へと4〜5時間のあいだエーク(櫂)をにぎりしめ、永遠と想える時を漕ぎ続けたのだった。
 父の生まれ育った浜辺の墓地にて土葬に眠る父を2009年3月春・掘り起こし骨を拾い集め、浜辺にて兄と二人で洗い清め,母にあつらえてもらった絹の白衣を着せて家族全員で見守るなか荼毘に付し、遺骨を壷に収めなおして改葬の儀を行い、あらためて父を新たな安住の墓中へと眠らせたのである。


 いまは同じ古郷の浜辺の墓地に,10年後の再会を夢見て屋形(やぎょう)の下に最愛の母が眠っている。

 感謝