2018年11月25日日曜日

シーカヤック 一人旅

 いずれの旅がそうであるように、全てにおいて自由気ままな一人旅は、ほんとうに楽しい。
 時間という概念をすて、日がな一日を勝手気ままにやりたいことを夢中になり遊びまくる。理想のキャンプサイトを設営し、スケッチや絵に没頭する。腹がへったら火を熾して飯を食い、そしてまた遊びに夢中になって「時」を忘れる。
 沈む夕陽をながめ、日が暮れ、また火を熾して「暗闇の夜」を楽しむ。
 満天の星空の浜辺、焚き火のかたわらにて潮騒を夢枕に、遊び疲れていつしか深い眠りに就く。
  海鳥たちのざわめきと、そよぐ浜風に目覚め、明けゆく朝焼けの空をながめ、火を熾して暖かい飲み物を淹れる。
 そして、昇る朝日と共にまたあらたな一日、自由な「旅」が始まる。
 さて、今日はどの無人島へと 漕ぎ航ろうか……

 そんな無人島のシンプルなシーカヤック・一人旅は、いくつになってもヤメられない。




2018年11月6日火曜日

外事 ひとこと



かつて私が携わった雑誌について、ひとこと。
これはあくまでも私の個人的な意見、もしくは感想としてのこと、そしてまた、かつて出版界に携わってきた人間としての嘆きでもある。

その雑誌の表紙には、サルが寝そべり「ゴミ 捨てんなよ!」とほざいていた。
私は雑誌の中のエスケープ・ルートというコーナーに時々だが、イラストを連載寄稿していた。
ある日、送られてきたその雑誌のコラムページに、原発の俗にいう「死の灰」の処理方法を肯定する記事が載っていた。
〜原子力発電所から出た「死の灰」をガラス容器に詰め込み密閉して地下300メートル埋めれば安心ですね。〜
という、まるで幼稚園生を説得する様な言い訳じみた解説のついた、これまたテキトーで稚拙な図解がまことしやかに掲載されていた。
「これって、このエコロジー雑誌が「死の灰」を肯定するのは、オカシィんじゃないの。……だって、土壌汚染の原因になるセシウム137の放射線半減期は約30年で、1000分の1以下になるには300年、しかも原発から出る「死の灰」全体に含まれる放射能が半減するまでに200万年かかるんだよ……、その間、だれが管理するの?200万年の間に地殻変動で、300メートルなんてアッという間に地表に出てくるゼ!」
と、当時、副編集長だったエスケープ・ルート担当者に、怒りを込め自分の想いを投げかけた。
すると彼は「イトーさん、出版は『金』がないとできないんですよッ!」と。
「?……。だったら表紙のサルの看板、外しなよ!『ゴミ 捨てんなよ!』と言ってるじゃないか。エコロジー雑誌なんて名前付けんじゃねぇヨ。」と言葉は暴力的だが、冷静に想いを伝えたのだった。

そのやりとりがあってか、それっきり連載コーナー・イラストの依頼は、翌月からピタッと来なくなってしまった。いいんだけどね、外にやる事あるし。

しばらくして、東北大震災が起き、例の福島原発人災により爆発!した。
言っとくが、この原発事故は天災ではなく人災・ヒューマンエラーである。「想定外による〜」と関係者が7年経った今でもヌケヌケとほざいているが、この事故はれっきとした人災なのだ。
その原発の危険性を、20数年前に発刊された雑誌デイズ・ジャパン・原発特集記事や、広瀬隆(ひろせたかし)氏の著作本(そのすべてがまるで原発事故に対する予言書)の数々、そして京都大学原子炉実験所・元助教 小出裕章(こいでひろあき)氏などが40前からその危険性を警告し続けていたのだった。

で、福島原発事故後に宝島社から発行された別冊・原発に関わる関連会社の特集を読み解いてわかった。
東京電力と電通、そしてサルが寝そべり「ゴミ 捨てんなよ!」とほざいていた雑誌を発行している出版社は原発事故当時、東京電力すぐ近くにあるTEPCO・テプコ・ビルに在籍する同グループで、各メディアの仕事をそれぞれ分担していたという事をね。

原発事故後、そのことが巷にばれてか、その雑誌の表紙のサルは、いつのまにかどこかへ雲隠れし「ゴミ 捨てんなよ!」の看板コピーライトは消されていた。しかも、腹黒いその出版社・編集部はいちにの三で住所を変え引っ越し、今現在では社名も変え新宿界隈をウロついているらしい。
しかし東京電力と電通、その雑誌メディアとしての関係性はサルを隠したところで本質は変わらないだろう。
おお〜い みんな、ダマされんじゃ ね〜よ!
事故発生から7年過ぎて、もう忘れたかな? のどもと過ぎて、なんとやら…… 
今現在でも事故発生当時と全く変わらず状態ってことを。 
フクイチの原発事故現場では、今でも放射能や汚染水はダダ漏れ状態だし、隣接する海域は流れ出る汚染された地下水や冷却水が、秘密裏に放流され続けているのだから。

原発 反対! 福島返せ!!



「地球にいいモノ、いいこと・スローライフ・スローフード・LOHAS・ ロハス・ライフスタイル……」等など、
雲隠れしたサルに、ダマされんじゃねぇ〜よ! バカヤロウ〜!

原発 絶対反対! 福島返せ!!

と、メディアは 声を大にして叫ぶべきだ。〜と 想うゼ!


原発 絶対反対! 福島返せ!!
叫べ
原発 絶対反対 を

 




2018年11月3日土曜日

薪ストーブ・ライフ ファイヤーサイド2019年カレンダー

ファイヤーサイドにて販売開始!

 

 2006年の夏から2009年の秋9月までの3年間、信州・駒ヶ根の「薪ストーブ」バーモント・キャスティングス日本総代理店ファイヤーサイドにて広告および商品開発のアート・ディレクターとして、薪ストーブ&関連商品・販売促進に参加させていただいた。
 参加する以前は薪ストーブ設置例の写真中心のカレンダーだったが、イラスト・レーターでもある私の提案で、薪ストーブおよび関連商品の販売促進につなげるべく、もっと夢のある薪ストーブ・ライフの世界をイラストレーションで表現しすることになった。
 ファイヤーサイド社長のポールさん宅の敷地内にある大きな蔵に間借りし、薪ストーブ「アンコール」ひとつでマイナス15度前後にもなる駒ヶ根の冬を3年過ごした。
 出勤前の朝は薪割りに始まり、同時に薪ストーブで飯を炊き、卵焼きとシャケを焼いて弁当を作る日々を送った。暮れなずむ夕暮れ時は半額シールの張られた握り寿司弁当をスーパーで買い込み、蔵に戻ってストーブに薪を焼べ足し、湯を沸かしてお茶を淹れ、弁当を喰らうという薪ストーブ・ライフをそれなりに楽しんでいた。
 そんな薪ストーブ・ライフを想い出しながら、1月から4月、そして7〜8月の3枚を描き上げた。残りの3枚は……カレンダーはカレンダー、カタログはカタログ、それぞれの役目と機能は違うのでは?……との疑問を投げかけたのだが、今回は、ポールさんや新しいスタッフの希望をふまえ、新商品のカタログ的に描き上げたのだった。

 今回のカレンダーに携わってみて、日本における薪ストーブ業界のあらゆるシーンが、10年前とはかなり変化している気がした。が、しかし、薪を割り、乾燥させ、薪ストーブで燃やし、寒い冬を暖かく過ごすという、シンプルな薪ストーブ・ライフは何一つ変わらないと想うのだが……
 いずれにしろ、薪ストーブと共に日々を暮らす多くのユーザーが、一年を通して幸せに日々を過ごせる事を願いつつ描き上げた、2019年度のファイヤーサイド・カレンダーだった。

ファイヤーサイド・ホームページ
https://www.firesidestove.com
 


 楽しかった薪ストーブの暮らしから遠く離れた今現在は、真冬でも平均気温15度前後の南国・沖縄&奄美で、シー・カヤック漕いで無人島に渡り2〜3日ウィルダネス・キャンプを楽しみ、琉球古来の木造船「サバニ」を造船しつつ、少数精鋭クルー3人のサバニ・チーム「風」を立ち上げ、2〜3年後は季節の南風を帆に受け沖縄を漕ぎ出て奄美へと航り、そのあとは遥か若狭の海を目指し、若狭の風をつかまえ琵琶湖の水面をサバ二で滑走する夢に向かって、日々「注染・手ぬぐい」作りと「奄美24景〜36景」のドローイング制作に励んでいる。



薪ストーブ・ライフ 手ぬぐい 2


ファイヤーサイドにて販売開始!
その2~「薪ストーブ」〜 寒山一景

 

 

 遡ること25年前の1993年ごろ、モノ・マガジンの別冊・サバイバル・マガジンの取材で初めて長野県川上村に住む作家・田渕義雄(タブチヨシオ)氏を訪ねた。氏の山小屋風の居間には、初めて見る真っ赤な「薪ストーブ」バーモント・キャスティングス社製のデファイアント・アンコールが、赤々と燃えていた。
 田渕氏はデファイアント・アンコールを日本で初めて個人で輸入し、真冬にはマイナス20度にも冷え込む日本一標高の高い川上村・寒山にて、就筆の傍ら、ひとり孤高にシェカーデザイン家具の「椅子と机」を独学で造り続けていたのだ。
 その出会いから2年後の1995年、我々は雑誌アウトドア・イクィップメントを創刊し、コマーシャリズムに乗らない、広告に頼らないアウトドア情報誌を世に送り出し、真のアウトドア・ライフの世界を紹介・提案したのだった。
 刷り上がりホヤホヤのアウトドア・イクィップメント創刊号を手に持ち、田渕氏の自宅を再訪した際、氏自宅前の小さな坂道を車で駆け上がったところで200m向こう、ミズナラ林の中にひっそりと佇む田渕氏宅の赤い屋根が見えてきた。そこに立つ黒い煙突から流れ出るうす青い狼煙(のろし)を目にしたとき「いまここに真の自由の入り口に、自分はやっとたどり着いたのだ!」という感情が込み上がってきて、自然と涙が流れ出た。
 そのあといくつかの時を田渕氏と過ごし、多くのことを学ばせていただいた。
 氏との出会いによって、私なりに確信したことがある。
〜河辺の「焚き火」向こう岸に「薪ストーブ」が燃えている。その間に流れる深き河は、自由な精神をこころに持ちつつ、己自身の力で泳ぎ、または漕ぎ進むのだ。〜 と、いうことを。

初めて見たデファイアント・アンコールの赤々と燃える炎を想いつつ、寒山の一景を手ぬぐいとして、染め描き残したのだ。



ファイヤーサイド・ホームページ
https://www.firesidestove.com

2018年11月2日金曜日

薪ストーブ・ライフ 手ぬぐい

ファイヤーサイドにて販売開始!
その1〜「薪割り」


 ガスと中部電力を止め、薪ストーブ「アンコール」ひとつで、深夜はマイナス15度にもなる冬の駒ヶ根を3年過ごし薪ストーブ・ライフが何足るかの多くを学んだ。
 10月末に熾したストーブの火を翌年の4月末までの半年間、一度も消すこと無く燃やし続けるのだった。
 朝は、寝起きすぐにストーブに薪を焼べ足し、マイナス10度前後の外に出て、30分かけ玉切りされたミズナラやクヌギ4~5個を手斧(グレンスフォシュ薪割り斧no.442)でカチ割る日々。玉切り2〜3個を割りすすむと体が熱くなり、フィールド・コートを脱ぎ、長袖のシャツ、そして5個目を割る頃にはTシャツ一枚になっていた。
 薪を割り終え、焼べ足された薪ストーブで暖かくなった室内へともどり、大きめの手桶にストーブ・トップのケトルから熱湯を注ぎ水を足し、熱めのお湯と手ぬぐいで体の汗を拭きとる。
 そんな楽しい雪国・駒ヶ根の冬の薪ストーブ・ライフを想い浮かべながら、秋の薪割りシーンの一景を、2色の手ぬぐいに染め込んだ。




*ファイヤーサイド・ホームページ
https://www.firesidestove.com