2013年3月28日木曜日

名も知らぬ 遠き島より〜

〜流れ寄る ヤシの実ひとつ
 カヤックやサバニで、沖縄や奄美の島々を旅していると、砂浜によくココナツの実が流れ着いている。特に無人島の浜辺には大小さまざまな大きさのモノをよく見かける。
 分厚い外皮を外すのは一苦労するが、中から出て来たココナツの実は、それぞれが小さなお猿さんの様な、かわいい愛嬌のある形相をしている。
 それを持ち帰り、中のココナツ部分を取り除いて乾燥させたあと、いろんな器やスプーン、ヘラ、小物入れにと加工する楽しみがある。
 カヤック旅の途中に、外皮が外れヒビの入った、いいカンジのココナツの実を拾った。そのヒビを活かして丁寧にナイフで刃を入れ、2つに割ってみた。

 パカッと、うまくバランス良く割れたので、そのひとつを旅の間はお椀として使っていた。これがなかなかのモノで、無人島の旅にはモッテコイの器となり、以来10年ばかり、共に南の海を旅している。
 上蓋にもなる、もうひとつの片割れには、小さな穴が1カ所開いており、その穴に小さなサンゴの小石を差し込んで茶こしに、またドリップ・ペーパーがきれた時などは、バンダナなどを被せてコーヒーサーバーとして活躍する。

 ちよっとしたカケラなどは、スプーンやお玉に変身すると、島崎の藤村さんもビックリの、これまた愛嬌たっぷりのキッチン道具となり、カミさん同様一生つき合うハメになってしまうのだった。

 この夏に ぜひ ひとつ!



2013年3月27日水曜日

渓流ビバーク


風吹くなかの沢音 そして 鹿の啼き声 
 中伊豆の山奥・冷川渓流の沢沿いで、一晩ビバーク・キャンプを楽しんだ。
 友が渓流釣りに専念して、私は1時間ばかりでタープを中心としたベース・キャンプを設営する。
 釣りのプロと、タープ・キャンプのプロとのコラボレーションである。 
 ツリキチ・ノボルが沢を遡上し3~4時間渓流釣りに勤(いそ)しんでいる頃、カメキチ・タカシは薪を拾い、風と沢水の流れを読み取り場所を決めタープを張り、沢石で火床を組み、ケトルにお湯を沸かしながら、とりあえずの避難小屋として、小さなテントを組み立てる。
 1~2時間、ベース・キャンプを設営しながら常に風の動きを観察する。川上から吹き下ろしていた風がしばらくしてタープ左からの横風と変った。空の低い雲はタープに対して右から左に流れている。蛇行する沢の風は、尾根に吹く風の強さによって右左と常に渦巻く様に舞っているのだ。ときおり下流の方からも吹き上げては来るが、その風力は弱く時間もほんの4~5分ばかり。
 タープやテントを張るとき、まず枯れ葉が溜まっているところ、もしくは細かい砂が堆積しているところをベースにする。そこは風や沢水が舞う事はあっても、吹き抜ける強い風や、石ころを押し流す様な強い流れが少ない、比較的安定した場所である事を、枯れ葉と砂が教えてくれているのだ。
 舞う風を考慮して、タープの左右を地面まで下ろし遮蔽(しゃへい)して、A型テントの形に組み変え、火床横のセンターの支え棒を取り外し、天井を低くする機能を組み込んだ。川上から吹き下りてくる風は、火の粉に強い60/40素材の火床用風防を兼ねた小さなタープで、メインタープの上部へと逃がすのである。
 ベース・キャンプ設営が終わり、しばらくして沢沿いを散策する。幾つかの沢の流れ口や、自然の河川の美しい苔むす石庭に心奪われる。静かなプール(水たまり)の枯れ葉や小枝の溜まり場下には、川魚の稚魚たち30〜40匹が群れをなし生きづいていた。
クロッキー・ノートにペンを走らせ、その感動をスケッチで切り取る。沢色を筆で落とし始めたころ、川上から冷たい風が吹いて来た。
 いつのまにか陽が尾根向こうに沈み、沢全体が一気に冷えて来たのだ。  
突然、後ろの方で鹿が啼(な)いた。振り返ると、4~5匹の白いお尻があわてて沢の土手を駆け上がってゆく。

 風がおさまった夕刻4時すぎ、ツリキチ・ノボルが忍者の様に音もなく、ベース・キャンプへと戻って来た。とりあえず暖かい飲みモノをいれ、焚き火に当たりながら身体を温める。
 桜咲く3月とはいえ、川水は10℃とまだ冷たく、夜は吐く息さえも白くなる3月上旬の中伊豆・山奥の渓流である。なによりも焚き火の温もりがありがたい。
 小さな焚き火を前に簡単な食事をとり、いくつかの暖かな飲み物を酌み交わし、今日の出来事、そしてささやかな喜びを笑いあい、明日の予定を話しあう。
 夜9時頃、真っ暗な谷間から空を見上げれば、南の天空にオリオンとシリウスが輝き、沢の流れと重なる様に南から北へと流れる天の川の片隅に、スバルの群星が静かに流れていた。
 11時過ぎ 川上から風が吹いてきた。電池が切れかかったツリキチ・ノボルとカメキチ・タカシは、それぞれの寝床に潜り込み、渓流の沢音を夢枕に、気絶するように眠りに就いたのだった。
 
 闇の中 また遠くで、鹿が啼いた。




2013年3月17日日曜日

風まかせ 漂流キャンプ ~その3

セーリング・カヤック無人島脱出作戦
 無人島2泊目、日曜日から月曜日にかけての真夜中にふと目が覚めた。

 先日(日曜日)の夕刻・陽が沈むまで、アウトリガーのベースとなるバウデッキ板と左舷リーボード、そしてアウトリガーの横棒セッティングまでは、勢いのまま一気に組み上げたのだった。そして、夜7〜8時には簡単な食事を済ませ、9時には早々と寝床に入った。ところが明日のセーリングに想いを馳せ、興奮してなかなか寝付けず、気を失い眠りについたのは、たぶん10時を過ぎていただろう。

 目覚めて、タープ外の 浜辺の明るさに驚いた。
 外に出て空を見上げれば、デッカイまんまるお月様が天の真ん中でドッカ〜ンと輝いていた。想えば明日火曜日の夜がド満月だったのだ。  
 時計を見れば、なんとまだ1時30分!マジかよぉ〜と、とりあえずションベンをしたらブルブルッと肌寒く、あわててカンカン・バーナーに火を熾し、お湯を沸かしてミルクティーをいれた。

  完全に目が覚め、月明かりに照らされて白く輝く「ヘロン」に、しばらく見入ってしまった。
 ついつい組み上げ途中の流木アウトリガーに目がいってしまい、気がついたら、無意識のうちに月明かりの下、ノコギリ片手にアウトリガー本体平板の舳先を、ギコギコギコと斜めに切り落としていた。
 しばらく夢中になり、アウトリガーが組み上がった頃には、月の明かりが薄暗くなり満月が西の空に沈んだ。そして東の空が薄青く明け始めていたのだった。
 さすがに眠気が一気に襲ってきたので、倒れる様に寝床に入り、そのまま気を失った。
 目が覚め、時計を覗くと朝の8時45分を指していた。
 枕元の風よけに使っていた小さめのタープをはずし、セーリング用の帆に仕立て直す。細引きやロープをとり回して帆柱にセットし、セーリング・カヤック仕様が完成したのは10時を少し過ぎていた。
 セーリング「ヘロン」を波うち際に運び、帆を上げ下げしてセーリングのセットアップをチェックしていたら、遠く沖縄本島の上空彼方からパタパタパタと軍用ヘリが飛来し、無人島上空で旋回をはじめた。

 思えばこの無人島は、米軍や自衛隊のヘリ離着陸・訓練場に使われていたのだった。オリーブドラブ色の機体からしてたぶん自衛隊のヘリだろう、島の上空を低空旋回や旋回上昇を繰り返している。

 浜辺に居る分には、文句はいわれないとは聞いているが、頭の上をバタバタバタと飛び回わられると、あんまりいい気持ちはしないし、多分、新米自衛官が操縦桿を握っているだろうから、落ちて来ないとも言い切れない。それにしても爆音がウルサい!タービン・エンジンのキィーンというジェット燃焼音まで聞こえるのだ。

 めんどくさいので、そそくさとベドウィン風キャンプ・サイトをテキパキ片付け、30〜40分後の11時30分には島を脱出したのだった。


 〜ここからは航路図・帰路(赤の実線)を参照〜

  無人島を離岸して帆柱上部の風見吹き流しを見れば右真横・北東の方から風が吹いている。島影に沿って北上し少しでも角度を稼ごうと、帆を下ろしたまま右に転舵しようとP.1の位置(航路図・参照)をガッツリ漕ぎ出した。
 ところが、アウトリガーのベースとなるバウデッキ板を抑えてある手前のテンションベルト(黒)がバタンとテンションが外れ、ゆるゆるになってしまった。このままでもバウデッキ板が外れることはないが、緩んだベルトが舟底で抵抗になってしまうので、細引きロープで応急処置しテンションを固定し直した。この一連の作業の際、右舷のアウトリガーがその機能を発揮しバッチリ安定した状態で風下P.2へと200〜300m流されていた。
 気を取り直し、風上に舳先を向け直し、岩場M2〜M3の間の砂浜が見えるP.3の位置目指して漕ぎ始める。
 左舷沖合いには一昨日の半分くらい白波が見え隠れしている。感じとして6〜7m/sの北東の風で、波高1〜1.5mといったところだろうか、気を引き締め、イラスト航路図の様な風と航路を頭の中に描いてイメージ・シュミレーションをいくつか繰り返した。
 10分ばかり漕いでP.3にたどり着いたが、目指す港の位置が帆柱の吹き流しの角度からして左真横9時方向の位置ゆえに、もう少し角度を稼ぐためしばらく北上することにした。
 P.3から漕ぐこと10分弱、真後ろに流れていた吹き流しの角度が左側に20度ばかり傾き、目指す港が8時方向に下がったので、ここぞとばかりに左舷リーボードを直角に下ろし、P.4の位置で、用心のため帆を半分ほど引き上げた。帆に風を入れたとたん、帆は裏帆に反転して舟は左舷に20度ばかり傾き、右舷の流木アウトリガーを少し浮かせた状態で、音もなくスゥ〜〜と走り出しした。
 おォ〜〜〜 帆走バッチリッ ヨッシャ〜!
 安定した帆走に、気を良くして帆を一番上まで、おそるおそる引き上げフルにした。
 見れば、流木アウトリガーが海面からほとんど浮いた状態で帆走し、スピードが上がった。ヨッシャアァァ~〜〜! と、思ったのも束の間、P.5の位置あたりで、さっきまで左舷側にピタリとしていたリーボードが、あれよあれよとグラつき始め、アッという間に前方が左に20センチほど開いてしまった。
 あわてて、帆のロープをゆるめ風を逃がしたところで、帆を下ろし、リーボードを固定していたクレモナ混紡ロープを締め直した。その間10分ばかり、6~7m/sの風と1〜1.5mの波の中で、流木アウトリガーがその機能を発揮し、風下へ流されながらも舟自体は安定して漂流していたのだった。
  リーボード固定部分を修正したあと、帆を半分だけ上げた状態でしばらく帆走し、リーボードの様子を確認しながら、帆を一気に上まで引き上げフルにした。
 一度緩んだクレモナ混紡ロープは、なかなかビシッと締まらず、もしくはリーボードがデカくて水圧を受けすぎるのか、ロープをいくら締めても少しづつ緩んで、やはり前の部分が10センチほど開いて来るのだった。やむなく足元ラダーにて左足をフルに踏み込み、舳先を左へ向けようとしても、センター部分のリーボードの抵抗がデカく、ラダーがほとんど利かない状態だった。
 右側に少しづつ舳先がずれていくため帆走速度が落ちてくる。そのため流木アウトリガーのアダン本体が海面に浸かると、アダン本体結び目部分の横枝などが抵抗となり、そこへリーボードのグラつきで前部分が開き舵作用の抵抗で、P.6〜7〜8の航跡の様に、舳先が右へ右へと徐々に向いてしまうのだった。そのため、5〜6分間隔の度に、右アウトリガー外側を2〜3回スイープして方向を修正したのだった。
 無人島を11時30分に脱出して、トラブルは多少あったものの30分ばかり風上に漕ぎ上がり、帆を上げ一気に港を目指し、比嘉の港スロープに舟を陸揚げし、積載道具を下ろして時間を確認したら12時45分を指していた。
 
 総括して、航路図〜P.4からP.8〜区間の帆による走行所要時間は約30分だった。途中〜P.5での10分ばかりの「リーボードのバラつき」がなければ、3時30分方向6~7m/sの横風で、波高1~1.5mの距離3kmを、ひと漕ぎもなしに20分前後で帆走、時速に換算すると9km/h( 4,8ノット)で帆走したことになる。

 今回の流木アウトリガー・セーリングテストでは、固定テンションベルトの外れと、リーボード固定のゆるみの2点が次回への修正ポイントとしてはっきりした。もっともテンションベルトに関しては、正しい掛け方を理解していなかったのが問題だった。反省しきり!
 リーボード固定のゆるみにかんしては、金具によるしっかりとした固定が必要であること。そして安いクレモナ混紡ロープに命を委ねるのは危険すぎるということが、ハッキリと理解できたのだった。

 近々、沖縄〜奄美の海を、セーリング・シングル・フォールディングカヤック「ヘロン」で旅するために、さらなるセーリングの精度を高めるぞぉ〜



2013年3月16日土曜日

風まかせ 漂流キャンプ ~その2


無人島で 流木アトリガー

 いつのまにか昇った陽に照らされた無人島の朝、7時すぎにやっとの想いで目が覚めた。

 先々日の夜、那覇の自宅にてキャンプ用折りたたみテーブル兼まな板を改造し、完全徹夜作業でバウ・デッキのアウトリガー横棒を縛るためのベース板を作っていたので、昨晩・無人島初日の夜は、早々9時過ぎには気絶するように眠りに就いたのだった。なんと10時間も完全熟睡してしまったのである。

 寝起きそうそう、Ligoリゴ・フルーツカクテルの空き缶で、バーナーを作り、火を熾してお湯を沸かし、のんびりとラム・ミルクティーを飲みながら、甘塩シャケの切り身3枚を焼いた。こうして薪の煙でいぶし焼きにしておくと、日陰の常温で2〜3日はクーラー無しでも日持ちするのである。

  簡単な朝食のあと、タープ下の寝床へ横になり、アウトリガーの素材とデザインを漠然と構想しながら、遠く水平線のリーフ・エッジに立つ白波を眺めていた。
 そこへ、島を一周歩いてビーチ・コーミングしてきたと、バッシーと奈穂チャンの二人がキャンプ・サイトに戻って来た。なんと、おみやげに「これアウトリガーにどうぞ」と、いいカンジに曲がった長さ1mほどの短め2〜3本と、4〜5mのメチャ長い真直ぐな1本の、白い流木4本をわざわざ拾ってきてくれたのだった。~おお神よ!~

 それから午前中の2時間ばかり、二人はウエットスーツを着込んで泳いだりしながら無人島をのんびりと満喫していた。
 そんな二人に、諸々のお礼にと、こっそりシャケの炊き込みご飯を用意し、お昼時のタイミングに合わせ、ごま塩とインスタントお味噌汁の定食セットをプレゼントした。 
 午後1時半過ぎ、バッシーと奈穂チャンの二人は、「あと1泊したい!」という後ろ髪を引かれる想いと共に、無人島を漕ぎ出し比嘉(ヒガ)の港へと帰っていった。

 2時過ぎ、さっそく、明日のセーリング・カヤック無人島脱出にむけ、流木アウトリガー作りに取りかかる。
 まずは、アウトリガー本体を探しに浜辺をうろつく。
 タープから100mほどの砂上に、小さなアダンの幹のカケラが落ちていた。拾って取り上げようとしたらビクともしない。「エッ、もしかしてッ!」と直感的に砂を掘り下げ、引っこ抜いて驚いた!
 長さ1.5m、太さがふくらはぎくらいのカパカパに乾いた、日本刀の様にいい感じに反って、アウトリガーにもってこいの理想の形である。 まさに、〜 汝(なんじ)求めよ、さらば与えられん! リーチ・一発・ジュンチャン・三色・イーペーコー・ドラドラ・ツモって11本の数え役満を上がった気分である。~おお神よ!感謝します。~ 
 偶然とはいえ、良きことは重なるものである。なんと、バッシーがキャンプ・サイトを片付けた最後の最後に「これ使います?」と残してくれた平板と合わせると、ナンという理想的なアウトリガーでしょう!
デザイン的にも機能的にも、スンバラしい流木アウトリガーならぬ「流木アートリガー」の完成です。★★★ 〜 星3つ いただきましたぁ〜

 いやいや、偶然とはいえ カンペキですぅ〜! 良きことは、良きことへと繋がってゆく見本のような、夢みたいな出来事でした。
~バッシーと奈穂チャンに、重ねて心からの感謝!~ 


 はてさて、その実なる機能はいかに?  
風まかせ漂流キャンプ〜その3 最終篇に 乞うご期待!

(つづく・敬称略




2013年3月15日金曜日

風まかせ 漂流キャンプ 〜その1


無人島で ミニ・ラーメン


 新艇「ヘロン」で3km沖合いの無人島を目指す。午後1時ジャストに組み立て始めたフォールディング・カヤックは、2回目とはいえ、まだまだセンターフレーム・テンションと4〜5番のリブ装着に手間取り、初回の組み立て時間を10分ほどオーバーして1時間30分もかけてしまった。
 キャンプ道具を積み込み、比嘉(ヒガ)の港を漕ぎ出たのは3時を少し過ぎていた。
 沖に出ると予報どおり、左舷10時北東方向から10m/sの風がふいている。風上から4〜5mピッチで押し寄せてくる高さ1.5mの波が、5〜6回に一度のタイミングで波頭が崩れ白波となってデッキを洗う。3km先に浮かぶ無人島との間は、白ウサギがバンバン跳ねていた。
  目指すは正面に浮かぶ島の右端・進行方向1時の砂浜だが、左舷10時からの風と波を考慮して、舳先を11時方向・島の左端の岩場に当て「30〜40分の辛抱!」と心に決め、ガッツリ漕ぎ続けた。
 10分ほど漕いだところで、確認のため後方・港の位置を確認する。ほとんど風下へ流される事なく直線的に進んでいるので、舳先を進行方向12時に向きを変え、島のど真ん中に当てた。それから20分ほど漕ぎ続けたところで波と風が少しおさまった。距離にして残り1km弱、舳先を2時方向の右岸に向けなおし、のんびりとマイペースで、白い大きな砂浜を目指した。
 上陸予定の砂浜からチョイ右側の岩場に、港で合流し先にカヤックで出発していた「バッシー」こと石橋勝(いしばしまさる)とその美人妻、奈穂(なほ)チャンの二人が、キャンプサイトで火を熾し紫煙をたなびかせていた。
 そんなこんなで島の砂浜に上陸したのは、日没2時間前の午後4時ごろになっていた。
 とりあえず日没も押し迫っていたので、キャンプサイト・寝床の設営にかかる。いつもタープを張る倒木が半分以上も砂に埋もれ、砂量があがっていたので、今回は流木タープキャンプ・サイトから少し趣(おもむき)を変え、砂漠の民・ベドウィン風の砂上タープ・サイトを張ることにした。
 もちろん、今回の目的「無人島・帰りは風まかせ」作戦のためセーリング・カヤック用に、漂流物をかき集めて流木アウトリガーを組み上げるための、造舟所としての機能も兼ねているのだった。


  休む間もなく、支柱となる流木や少しの薪を拾い集め、タープを張り、砂をならして寝床をこしらえる。1時間ばかりで、ベドウィン風タープサイト造舟所のベースが組み上がったところで、バッシーがありがたいことに、ミニ・カップラーメン〜まろやかチキン味「元祖オキコ・ラーメン」を差し入れてくれた。
 身体が冷えていたので、お湯を沸かしてなにか温かいモノを飲もうとしていたところへ抜群のタイミングであった。~おお神よ!~ すかさずカップに麺を入れ、パッケージの袋にはお湯を注いで4分と書いてあったが、とても待ちきれず、注いで待つこと2分半、フーフーいいながら、その優しさと温もりが、冷えた身体に染み渡り、暖かな想いが蘇ってきた。〜バッシーと奈穂チャンに心からの感謝!〜 
 新ためて、沖縄産ミニ・ラーメン~まろやかチキン味「元祖オキコ・ラーメン」( 合成保存料&着色料 未使用だよ!) のクイックリーな美味しさ〜を見直した。
西の大空を真っ赤な夕陽が染めたあと、無人島・第一幕目の少し肌寒い夜のおとずれが、静かに舞い降りて来るのだった。
(つづく・敬称略