ここ沖縄では2月中旬を過ぎると、日中気温は20度を超え「緋寒桜」はアッという間に花は散って葉桜となり、時おりさえずるウグイスの鳴く声に「春」の訪れを感じる。
今年2月の名護市長選の結果は、辺野古新基地建設推進派が反対派に獲って替った。欠陥ヘリ・オスプレイ100機配備に名護城跡の桜が泣いている。
2018年2月28日水曜日
緋寒桜の哀しみ、海より深く
2018年2月4日日曜日
「死に損ない」?
昨年夏、畳に寝る事を拒み、死にものぐるいで外で遊び続け、一ヶ月ものあいだあえて大地の上で眠り続けた。
真剣に、かつ慎重に、圧倒的な大自然と向き合い、共に歩む仲間を通して「己」の強さと弱さを知る。
自分自身と向き合う中で、歩んできた過去を想い、ほんの少しの未来を考える。
その旅を通して、己の歩むべき人生の道標(みちしるべ)を想い描き、その目標を見定め、その描く世界を目指す。
旅を終え、現実の世界へと戻リ、想い描いた「未来」を目指し、その後の日々を真剣に生きる。
「眠り」さえも削りながら、二ヶ月ものあいだ死にものぐるいで、やるべき「仕事」と向き合い、旅を通して知り得た「生きる力」を仕事として吐き出す。
旅を通して知り得た「感動」からくるスケッチと、吐き出す「仕事」としてのスケッチは根本的に異なる本質を内包する。
旅のスケッチは、己自身が旅をとおして「知り得た感動の喜び」であり、あくまでも一個人の身勝手な経験からくる人生の喜びの「メモ」なのだ。
仕事のスケッチとは、人、つまり相手あっての物事であり、相手が求めていることを理解・考慮し、それに関わる多くの人たちと真剣に向き合い、かつ誠実をこころがけた「人を喜ばせるためのスケッチ」である。
つまり、物心ついたころから描き始めた「楽書き」に始まり、スケッチ、イラストレーション、グラフィック・デザイン、そしてアートディレクションの経験から積み重ねた「楽描き」という、己のこれまでの人生で知り得た知識と技術を通しての「人生のスケッチ」の集大成なのである。
その旅のあと、二ヶ月ものあいだ休まず「仕事」と向き合った結果、とつぜん気絶し倒れ、人生で初めて救急車搬送による、これまた人生で初めての入院という貴重な経験をしたのだった。
その後しばらくしてある人から、とあることで「死に損ない」と呼ばれた。
死に損ない…、結構!
いいじゃないか、人は「生きてこそ」である。
これから先「死に損ない」として、オレは、お前と違って
これからも自分自身を堂々と生きようじゃないか。
ただの 酔っぱらい〜酒乱〜
じゃ ねぇ〜ゼ !!
人生の スケッチを眺めつつ……今を 想う !
2018年1月31日水曜日
南国冬だより
寒波到来!
ニュースでは中越地方や新潟、東北、北海道の各地が大雪のため大変な事になっている。
私が子供の頃の奄美では、祖父母をはじめ父母は火鉢ひとつで一冬を過ごしていた。電気が日常に使えるようになった東京オリンピック以降、街の電気屋に白黒テレビと冷蔵庫、手動式脱水ローラー装置付き洗濯機に赤外線?電気コタツが入ってきた。扉ひとつの小さな冷蔵庫には、不思議な事に何故だか取っ手の上にカギが付いていた。
3人兄弟の子供たちと両親を含め5人家族にとって1m四方のコタツは狭く、肩まで潜り込むわたしと姉のぶつかる足で、いつも言い合いをしていた事を想い出す。
そんな奄美の真冬でも暖かい日中では25度を上まわり、正月の家族麻雀ではコタツにスイッチが入っておらずとも、半袖シャツに立て膝ついて、ポンだのチーだのロン!マンガン!!と、熱い激戦を楽しむのだった。
今現在、ここ沖縄では朝夕の外気は13~15度、日中は20度を越える。室内では、手あぶり火鉢ひとつに木炭2~3個の火があれば、室温常時22~23度と心地よい暖かさである。
大きめの火鉢に炭を熾し部屋を暖めると同時に、いくつかのヤカンを掛けて「湯」を沸かしている。
ちなみに、ステンレスの1リットル・ケトルにはコーヒー摘出用・純粋真水を。モスグリーンのホーロー1.5リットル・ケトルには三年番茶もしくは自家製のほうじ茶を常に沸かして煮出しておき、でっかい茶色いヤカンの2.5リットル・コッパーケトルには、パスタ即ボイル用に、または食器洗い用温水、もしくはお風呂の足し湯にと大活躍しているのです。アァ〜楽しい!
適度の炭火との隙間にて、ストーブと違いボコボコ沸騰はせず、静岡や知覧のお茶にはとても良い70〜80度前後の最適なお湯が常に沸いているのと、これまたカミさんに大好評で「焼酎のお湯割りにチョ〜ドいい!」と、チョ~ご機嫌でござんす!
2018年1月28日日曜日
エッ、それって 本心!
世が世ならば 〜其の二
沖縄の新聞「琉球新報」1月27日朝刊 3面の小さな段記事に、以下の内容あきれる記事を見つけた。
〜以下「琉球新報」の記事引用〜
沖縄「軽視」〜首相が誤読
安倍晋三首相が26日の参院本会議での質疑の際、沖縄県で相次ぐ米軍ヘリコプターの不時着に関し、「地元の懸念を軽減する」とすべき答弁を「地元の懸念を軽視する」と言い間違え、本会議がざわつく一幕があった。首相はすぐに誤読に気付き、言い直した。首相は24日にもプライマリーバランス(基礎的財政収支)を「改善させている」と読むべきところを「改ざんさせている」と誤った。
〜引用終わり
えっ なにか問題でも…?
要するにこの人は、極悪なところの心根を隠せないバカ正直者で、かつ善幸を求められる行為については大嘘つきの、とんでもない本物の大バカ・極悪人かもしれない。
森友学園問題では、籠池さんへの100万円寄付の「頂いた金はお返しします〜返還行為」から昭恵共々夫婦そろって逃げ回り、あげくのはてに籠池さん夫婦を検察と裁判所を私物化して詐欺容疑で収監し続け、自分に都合の悪い者たちには濡れ衣を着せしょっぴくという「強権独裁政治」を行い、加計学園問題では忖度見え見え国民の税金私物化「知らぬ存ぜぬ大嘘ハッタリ忖度政治」の嘘に嘘を塗り重ねる極悪政治の日々に明け暮れている。
こんな大嘘つきハッタリ極悪人ふたりが、日本という国の、総理大臣とその妻という国内において最も重責ある立場に居るということが、オレは理解できない。そのふたりの存在こそが最大の「国難」と思うのだが。
世が世なら、「公金横領、国会における偽証言、証拠隠滅、忖度極悪政治および憲法違反の独裁政治執行」の悪行の数々にて、大岡越前守による「義」なる御沙汰においては〜
「市中引き回しのう江、磔(はりつけ)獄門・公開さらし首の刑」に処さるる「極悪人」にござ候!
~と、個人的には想うのだが、諸氏いかが?
2018年1月25日木曜日
Birthday
朝一番、
娘からの電話「Happy Birthday!」にて自分の誕生日に起こされた。
前日の、来る2月4日名護市・市長選挙に再立候補した現名護市長・稲嶺すすむ氏の総決起大会に応援参加した23日夜、現沖縄県知事・翁長雄志氏含む約4,000人の応援団による決意表明「絶対に辺野古に基地は造らせないぞォ〜ッ!」の、会場および名護市全てを揺るがすほどの大シュプレヒコール興奮冷めやらぬ翌、1月24日の朝である。
小学56年に1学年繰り上がったその夜、近くのレストランでささやかな会食を楽しんだ。食事あとにお店の好意で1本の小さなローソクが立てられたチーズケーキがプレゼントされた。感激!
未だに卒業できない小学なわたしは、すかさずケーキをみんなで各自好きな分だけフォークで縦にそぎつつ食べ回し、最後にローソクを倒し火を消した人が、その夜の食事代を払うという「チーズケーキ砂取りゲーム」を提案する。お店のスタッフ含め全員大笑いと共にその夜の誕生日を祝ってくれたのだった。
や、やべェ〜…!
だれが払ったのかって?
もちろん、私のことをいちばん大切に想っているひとに決まってます。
〜ありがとう、そして、ごちそうさまでした。
そして、大切な彼女と、この命を与えてくれた父母に、こころからの
感謝!!2018年1月24日 夜
2018年1月21日日曜日
スケッチと、グラフィック仕事
時々 想う。
今までに、スケッチを何百枚、いや、いったい何千枚描いたのだろう、と。
スケッチを描く動機のほとんどは、好奇心からくる「あれ、これなんだろう?」という「驚き」と、目に飛び込んでくるあらゆる物の姿かたち、そして光や影たちの織りなす「美しさ」との出会いによる「感動」が、ペンを走らせ、その輝きの100分の1の色彩の残像を記録としてメモっているのだ。そしてその「感動」を数多くのクロッッキーノートに、時を忘れ描き残している。
一枚の絵を描くとき、最初の一筆を下ろした時点で最後の筆を置くまでの画面構成は頭の中にあり、ただ頭の中のメモを手に持つペンや絵筆を通して、紙もしくはクロッッキーノートに移しているだけなのだ。つまり、描き始めた時には最後の一筆はもう決まっているのである。
イラストやデザインなどグラフィック仕事のほとんども、とりあえずアイデアがまとまるまで幾つかのラフを頭の中で構成してみる。そのラフかある程度まとまった時点で、はじめてA4サイズのクロッッキーノートにペンを走らせ、紙上のラフ・デザインとして机上にて具現化しているだけなのだ。
スケッチがそうであるように、グラフィック仕事もまた夢中になると時を忘れ、最後のページまで一気に描きあげている。つまり、1ページ物も100ページ物のレイアウトにおいても、頭の中で幾つかのラフ・レイアウトを構築し、最初の1ページをクロッッキーノートに移し始めた時点で最後のページに向かって、頭の中のラフデザインをただひたすらに紙の上に描き進んでいるだけなのである。
2018年1月20日土曜日
時の流れ 義兄のこと
昨年 5月 義兄 65年の人生を逝去す。
我18の時に、その人としての優しさに出会い、姉と、また兄と、共に兄弟として人生を過ごした。
義兄は多くのことに器用な人ではなかったが、車の運転、吉田拓郎「祭りのあと」と酒、そして「馬」が、何よりも大好きだった。
私がギターをつま弾くと、かならず「孝志くん、拓郎の「祭りのあと」を歌って」といって、リクエストするのだった。
遺影を前に「祭りのあと」を弾き歌い、心で涙して捧げる。
出会って47年、特にこの30年前後は、互いの子供たちの誕生を始め、父母の逝去など様々な人生が通り過ぎたが、今にして思えばあっという間だった様な気がする。
見舞った5月27日、義兄に最新作の手ぬぐい「赤花」の下絵を見せた。
下絵に向かって両手を合わせ「スゴイ、スゴイ、カッコイイ!」と義兄の声無き口元が呟いていた。
「赤花」が最後の餞となり、その二日後・5月29日20時21分、65歳の若さで、永眠したのだった。
義兄よ 安らかに、あなたの優しさを 生涯 忘れない。
感謝
登録:
投稿 (Atom)





















