2014年
8月15日の金曜日
あなたは
どこで 何をして
いましたか。
Photos by ITO HIROMI ©
靖国 九段下交差点
いま再び 聞こえはじめる
軍靴の 足音
国民の大半(80%以上)が拒否する原発再稼働・推進、および平和憲法九条の改憲を目論む極悪法「特定秘密保護法」、また勝手な解釈憲法による「集団的自衛権」の行使容認の悪政をひた走る安倍晋三・自民党/公明党の現政権。
先の太平洋戦争と同じ、日本本土を守るための奄美・沖縄の南西諸島を主戦場と考える、ふざけた「新たな防衛大綱」を声高に宣伝する大本営・防衛省に伴い、それを先頭に立って推進する安倍晋三・自民党、それに媚びへつらう公明党/民主党の残党ども。来る1週間後の4月29日(日)に鹿児島2区補欠選挙における、そんな彼らが推薦する立候補者とは、いかなる人物であろうか。
奄美小学校生でも解ることである。
見よ このおろかな机上の空論、信じがたい現・防衛省による「新たな防衛大綱」を~ https://www.youtube.com/watch?v=vJhjHqPTTaQ
例えば若狭湾の原発施設群に何百発と打ち込まれるミサイルをどうやって防ぐというのか、
250~300万人といわれている中国の兵力に対して、現自衛隊はその10分の1以下の25万の募集定員にも満たない22万そこそこの自衛隊員数であり、保有する戦闘機においても中国2000機に対し自衛隊はその約6分の1、たったの360機前後である。
「新たな防衛大綱」が示すように、万が一いざ有事になったとして、その結果は火を見るより明らかなのは、名瀬小学校生でも解ることである。
再度、確認されたし、このおろかさを。そして 聞け 同胞・琉球の声を。
「新たな防衛大綱」を~https://www.youtube.com/watch?v=vJhjHqPTTaQ
聞け 同胞・琉球の声を~2014年度・伊江島「わびあいの里学習会」における抗議決議文と、最後に読み上げた平和宣言、一読されたし。
抗議決議文~ http://twitpic.com/dxea4a
平和アピール〜 http://twitpic.com/dxea8d
●平和資料館「わびあいの里」〜 http://www3.ocn.ne.jp/~wabiai/index.html
目覚めよ 奄美の人よ
平和の最大の敵は 無関心 である
戦争の最大の友も 無関心 である
くり返すな 歴史の過ちを。
命ど宝 (ヌチドゥタカラ)!
伊東孝志
奄美のみなさま へ
緊急追加~必見されたし、拡散 熱烈希望!
4月27日鹿児島2区補欠選挙~有川美子(ありかわよしこ)候補/山本太郎応援演説(名瀬郵便局交差点前)
https://www.youtube.com/watch?v=1bstldzwvjI#t=28
安倍晋三・自民党が主体となって、公明党/民主党の残党たちによる現政権が目論む、極悪法「特定秘密保護法」と「原発再稼働」に対して、断固反対を訴える多くの仲間たちと、昨年11月から、首相官邸前、議員会館前、国会議事堂正門前に出かけ抗議の声をあげ続けた。
昨年12月6日の国会での「特定秘密保護法」成立まえは、1週間の連日、寒風吹く議員会館前と国会議事堂正門前にて、より多くの人々とその声を叫び続ける。
明けて今年1月は沖縄・名護の市長選に向け、稲嶺ススム氏の選挙応援運動に告示出陣日より陰ながら参加応援し、熱く声援を送り続けた。
1月後半から2月始めは、2月9日の東京都知事選に向け、即脱原発を目指す細川護煕氏の選挙応援に連日足を運び、最終演説8日土曜日の新宿アルタ前での大雪・猛吹雪のなか、同じく熱い声援を送り続けたのだった。
2月の中頃は沖縄本島北部の東村・高江へ出かけ、ヘリパット建設反対運動の現場と、伊江島に渡り、故・阿波根昌鴻(あはごん しょうこう)氏設立の平和資料館「わびあいの里」へと足を運び、資料館の館長理事・謝花悦子(じゃばな えつこ)さんから多くのお話を伺い、戦争とは何か、平和とは何か、基地反対運動、そして日本における沖縄とは何か、の多くを学習させていただいた。
3月1日には再度・沖縄本島~伊江島へと渡り、謝花悦子さん主催の2014年度「わびあいの里学習会」に1~2日の両日参加。いま現在の伊江島および東村・高江におけるオスプレイ飛行訓練の危険性や爆音被害報告、そして、山内徳信(やまうち とくしん)氏による講演/平和憲法を無きものとし戦争国家へと歩む現・日本政府にいかに抗(あがな)うか/沖縄県民の民意を無視し、理不尽な基地押しつけにも屈しないための「知恵と力」を学び合う集いに、こころ熱き想いを新たに抱いた学習会だった。
集会初日の抗議決議文と、最後に読み上げた平和宣言、 一読されたし。
2014年度「わびあいの里学習会」
抗議決議文~ http://twitpic.com/dxea4a
平和アピール〜 http://twitpic.com/dxea8d
●平和資料館「わびあいの里」〜 http://www3.ocn.ne.jp/~wabiai/index.html
春まだ 遠し 大和・琉球の國
1Day〜ヤドリ浜から渡連(どれん)の浜へ
台風26号が関東地方を北上した先月17日ごろ、奄美大島の南部・瀬戸内町のヤドリ浜から、7人の男どもが、目の前に浮かぶ加計呂麻一周を目指し漕ぎ始めたのは、出発予定時刻より1〜2時間遅れの午後2時45分だった。
昼12時が17日の干潮ピークゆえ、潮が反転し動き始める1〜1時間半のタイムラグを考慮しての午後1〜2時出発予定で、満ち潮に乗る反時計回りのコース・プランであった。
日の入り6時として日没まで3時間、パドリング1時間半〜2時間・距離10km以内に設定して、とりあえず5〜6km先の「スリ浜」を目指す。
3km、40〜50分ばかり漕ぎ進んだ黒崎沖の大島海峡ど真ん中は、引き潮と満ち潮が複雑にぶつかり合い、あちらこちらに三角波が立ち、渦が巻き、盛り上がる潮の流れで、舳先(へさき)がアッという間に左へ50度以上押し流された。
こんなときは激潮に逆らわずに、流れる潮に乗りながら、一気に最短の岸辺を目指すのである。そして潮の流れが治まったところで、目指す方向へと転舵するのが、シングル艇のパドリングで最も安全な航海方法なのだ。
漕ぎ出してから1時間過ぎたあたりで、後方45度・方位〜北東からの風が急に強くなってきた。目指すスリ浜は北東に向かっての浜なので風に吹きさらされる事になる。それを回避するため、急きょ上陸予定地を変更し、風裏の浜として左後方に見える「渡連」の浜を目指した。
4時20分、渡連に着岸する。大潮のタイドラインと今日の風波を考えると、大きな渡連の浜への選択は最適であり、かつ日没6時〜7時からの夜の帳(とばり)を思うと、キャンプ設営2時間余の明るさは好判断だった。
1day〜初日、距離4.5km:約1時間30分パドリング。近くても大島海峡の潮の出入り口近くという、なかなかの一筋縄では行かない複雑な潮流と風、そして風裏キャンプ地選択という柔軟な状況判断にて、それなりに快適な初日の夜を無難に過ごす事が出来たのだった。
(つづく)
風防とペグダウンを兼ねたヘロンを風上に置き、風を逃がすようにタープを斜めに張る。グランドシートを敷き、モスキートネットを吊るして砂浜にゴロ寝ビバーク。10月後半の奄美の夜風は少し肌寒く、スリーシーズンのシュラフを必要とする。
智恵子の 空
深緑に輝く背の低いハイマツの茂みをぬけると、稜線遠くに目指す安達太良山の山頂・乳首(ちくび)岩場と、その左側の嶺づたい奥に、赤茶けた鉄山(くろがねやま)の岩場が切り立っている。その稜線上に智恵子のいう「ほんとうの空」が雲をたなびかせ輝いていた。
少しの休憩を終え、標高1700mの山頂にたどり着いたときには、いつしか青空は消え、目の前に隆起する巨大な乳首岩は、霧の中にボンヤリと薄衣(うすごろも)をまとっていた。
クサリ場をよじ登り、薄曇りの雲の中にたたずむ岩場頂上は、峰を越える風が吹き荒れていた。肌寒くも、乳首岩に抱きつき頬ズリしたら、下界の遠く彼方から、智恵子の「アァ〜ン……」というささやきが、風に乗ってかすかに聞こえた。?…気がした。
しばらくして、鉄山下渓谷にある「くろがね小屋」を目指し下山を始める。幾つかのトレッキング・コースが交差する分岐近くの岩場には、赤丸印の道標が頼もしく誘導してくれる。そして日暮れ少し前に、予定通り「くろがね小屋」にたどり着いたのだった。
翌朝、山小屋の周りは朝霧に囲まれていた。
食事を終えたあと、小屋の乳白色・源泉掛け流し温泉でのんびり朝風呂を浴び、霧の晴れた11時過ぎに下山を開始する。初秋に色づく紅葉を眺めながら整備されたトレッキング・コースをゆっくりと下りてゆく。
下山コース終盤に、安達太良渓谷の「渓谷・遊歩道コース」を歩く。
小さいながらも美しい数本の滝と、ミズナラやカエデ、モミジなど広葉樹林豊かなこの渓谷には、小さな秋が始まっていた。紅葉真っ盛りには、さぞかし美しい秋景色なのだろうと、滝横でしばし佇(たたず)み、錦(にしき)織なす紅葉に想いをめぐらす。
ふと見上げると、黄色く色づいたミズナラの向こうに、水色の青空がひろがっていた。
智恵子の言う「ほんとうの空」とは、
季節ごとに変化する色とりどりの美しい山々と、その裾野にひろがる集落の、田畑を潤し多くの命を育む豊かな「清き水」の流れ、それらを生み出す嶺峰にかかる白き雲や風、そして降り積もる真白き雪などの全てがひとつに重なることで、はじめて「ほんとうの空」であることを伝えたかったのかもしれない。
2011年3月 、あの忌まわしい原発事故以後、久しぶりに阿武隈山系を歩き、
悲しくも…、そんな想いが、
あの白い雲と共に、胸奥にひろがっていった。
60/40混紡
亀吉オリジナル・ハンドメイド・タープ
シーカヤックおよびフィールドでの、ソロ・キャンプのビバークは、突き刺した1本の棒に細引きでテンションをかけ、4角を固定して小さなタープを張る。
その下に大きめのタープを三つ折りにして、グランドシート代わりに敷きつめ、その上にコットンシーツを敷いて寝床とする。
風が無い浜辺や薮の近くでは蚊の襲撃に備え、コクーンのモスキートネットを吊り下げ、頭の上部にたたんでぶら下げておく。蚊の襲来にはもちろんモスキートネットをサッと広げ、突然の雨には下に敷いて折り畳んであるタープを1/3引き出し、それをサッと被り雨をしのぐ。
ま、雨が降らなきゃラッキーであるが、所詮、濡れる覚悟で外で寝ているのであるからして多少は濡れても、ど~ってこと無い。
濡れることよりも、満天の星空を眺めながらそのまま気を失うことの方が、はるかに楽しく心地よいのだから。
タープを通してパタパタと雨にたたかれる感じ、これがまた楽しかったりするのだ。
ナナカマド
久しぶりに東北の山を散歩した。
高村光太郎の短編集「智恵子抄〜あどけない話」に
智恵子は東京に空が無いといふ。
わたしも そう想う。
智恵子抄〜あどけない話
智恵子は東京に空が無いといふ。
ほんとの空が見たいといふ。
私は驚いて空を見る。
桜若葉の間(あいだ)に在るのは、
切っても切れない
むかしなじみのきれいな空だ。
どんよりけむる地平のぼかしは
うすもも色の朝のしめりだ。
智恵子は遠くを見ながら言ふ。
阿多多羅山(あたたらやま)の山の上に
毎日出ている青い空が
智恵子のほんとうの空だといふ。
あどけない空の話である。
で、記されている「ほんとうの空」を見ようと、
安達太良山(あだたらやま)に登った。
まだ9月下旬だというのに標高1500〜1700mにかけて、
小さな秋がはじまっていた。
秋の入口とはいえ、植物たちの鮮やかな色彩についつい足を止めてしまう。まぶたに焼き付いたナナカマドの赤い実の美しさを、記憶の褪(さ)めぬうちにと、たどり着いた山小屋にてコンパクト・カメラのモニター・メモを眺めながら、残像の断片をたどりつつスケッチをとる。
ナナカマドの実は果実酒に利用でき、疲労回復、強精、強壮、利尿作用の効果があるという。
なんと、その樹木は炭としての極上品・備長炭の材料として古くから慎重され、火持の良い強い火力は、七度、竃(かまど)に入れても燃え尽きないことから、ナナカマドと呼ばれているのだった。
(つづく)