2019年6月30日日曜日

セルフ経済の本質






真冬の雪国・駒ヶ根での若者二人が教えてくれた

セルフ経済の本質、大切なお金は…



 長野・駒ヶ根で薪ストーブ販売の会社にアート・ディレクターとして勤めていた。
 仕事終えた金曜の夜に高速にのり、東京の自宅までの片道250kmを時速120kmでカッ飛び、三日後の月曜朝5時に東京を出発し駒ヶ根に戻る通勤500kmを毎週やっていた。
 ある真冬の深夜1時ごろ給油のためセルフ・スタンドに向かったら閉まっていた。このガス残量では韮崎・双葉までもたないとアセッていたところ、高速入り口前のスタンドが営業していた。受付から飛び出してきた二人の若者にハイオク満タンを告げ給油をたのんだ。
 寒さで白い息を吐きながら一人の青年が手を真っ赤にして窓を拭き、給油をしていた一人からハンドル・ダッシュボード掃除用にと温かいウエスを渡され「タイヤの空気圧は大丈夫ですか?」と聞いてきた。
 そのあと高速を走りながら、考えた。
 日々のセルフ・スタンド給油で2~3円安い事への一喜一憂するバカらしさを…、寒さの中テキパキと動く彼ら二人の働きぶりが、その事を教えてくれた。〜ガソリン代は5円高くても彼らに払うべきだとね。






2019年6月29日土曜日

YAMAHA XT500 その2

野山を駆けまわり大地に眠る喜び


第1回、第2回のバリ~ダカール・ラリーの優勝車XT500。
なんと第1回は驚くことに2輪・4輪含めての総合優勝で、
その砂漠の覇者XT500は、次なる名車SR400/500を生むこととなる。
バイクを改造し、見知らぬ土地を走りぬけ、はじめて出会う景色とその感動。
雨風・太陽そして火のありがたさを知り、旅を通してキャンプ道具を徹底的に使いこなす。
好奇心が誘うその体験と感動の全ては、明日からの道標となってゆく。

あの名車XT500よ、再び!        

 バイク改造に狂っていた1979~1981年当時、自宅マンションの自転車置き場にはレース用や部品取り用にと、ヤマハXT500とSR500が計12台ほど並んでいた。名車XT500はのちにオンロードモデルとしてSR500/SR400を生むこととなった伝説のビッグシングル・オ フローダーである。
 吸排気系をバリバリの改造マシンに仕立てたXTは、イラストにもあるようにオイルクーラーを追加し、エアークリーナー・ボックスや、フレーム下から取り回しされた当時コブラ・マフラーと呼ばれていたオリジナルの排気系はさっさと取っ払い、欧米仕様TT500用エキゾーストにスーパートラップ(ディスク板+6枚)を装着し、仕事帰りの都内・深夜の甲州街道ではナナハン・キラーとしてカッ飛び、そのサウンドとスロットル・レスポンスの良さを楽しんでいた。
 そんなオフローダーで休日には関東近辺の野山を駆け巡り、気分のいい場所を探してはそこで眠るということを毎週のように繰り返していた。単独・林道走り優先なのでキャンプ装備は最低限、テントさえ持たずにタープの下で寝る野宿スタイル。バイクを雨や夜露に濡らせたくないのでバイクにタープをかけ、その脇にちょこっと寝かせてもらう感じかな。
 バイクの横にグランド・シートを広げその上にサーマレスト・マットを敷き3シーズン・ダクロン・シュラフに潜り込む。雨の寒い日はシュラフカバーを使用するが、晴れた日にはタープ下でシュラフむき出しのまま養蜂用のフェイス ・ネットのみで寝ていた。今ではモスキートネット(蚊帳)を吊るして、相変わらずのタープ・キャンプを楽しんでいる。
 石油系燃料ストーブを持ち歩かない私の野営スタイルは、焚き火あってのタープ・キャンプが基本。だから、オープンカーの幌を作っている製作所にお願いして、60/40混紡クロス素材での特注タープを作ってもらった。制作から35年ほど経つが、今でもシーカヤック無人島の旅に大活躍。
 バイクを改造していくと、より自分の道具、分身としての相棒になっていく。同様にキャンプ道具も使い込む事によって、製品の特徴と良さ・そして欠点さえも理解できるのだと思う。今やネットに溢れているインプレの数々も、結局は自分とは感性の異なる他人のゴタク。要は自らの体験こそが全てであり、あらゆる事においてその経験こそが明日からの指針となるのだ。
 さて、オン・オフ兼用のデュアル パーパス・スクランブラー流行りの昨今、浜松のヤマハさんよ、この素晴らしい名車XT500(欧米輸出仕様TT500!)を、ミクニかケイヒンのキャブ装備で再販してくれないかなぁ~と強く願い、想う今日この頃。アァ~あのサウンドと加速感、再び!





2019年6月4日火曜日

奄美 自衛隊配備に抗う 〜その2

私は故郷・奄美大島の 
自衛隊ミサイル部隊配備に反対する。

今朝(2019年6月4日・火曜日)の新聞〜琉球新報・一面の記事を読み驚いた。自衛隊が配備するミサイル弾薬庫の危険性についてのレポートである。
鹿児島で発行されている地元新聞・南海日日新聞では決して取り上げないであろう、自衛隊が持ち込むミサイルの貯蔵弾薬庫の及ぼす、近隣住民(島民)への有事もしくは火災事故による危険性である。
奄美の多くの人たちは、今現実として進められている自衛隊ミサイル部隊配備の情報は、日々のテレビ・ニュースもしくは地元新聞の情報でしか知り得ないでいる。

地元あまみFMの流す情報番組で、女性アナウンサーが子供たち3〜4人にインタビューするコーナーで「将来、大きくなったら何になりたい?何をしたい?」の質問に、驚くことに1〜3人の子供たちが「自衛隊、自衛隊になりたい!」と即答する有様である。
この島の学校教育はいったいどうなっているんだ!〜親や教師、街の人々は子供たちに何を教えているのだ!
その問いかけの子供たちの答えに対するアナウンサーの無反応・問題意識の無さにあきれ、怒りに満ちた気持ちになる。子供たちを取り巻く大人たちの不甲斐なさに、心底胸奥がワジワジしてくるのだった。

また、小学校から幼なじみである友人が営む名瀬のヤンゴ通り奥の飲み屋では、自衛隊の話になると夫婦そろって「自衛隊歓迎」で、カミさんに至っては「中国と朝鮮が攻めて来たら、わたしは竹ヤリを持ってでも最後まで戦う!」と、〜ここは昭和の戦前か?……あきれ我が耳を疑うほどである。いざ有事となればミサイル飛び交い、数万発の爆弾空から雨アラレのこの時代で竹ヤリ?……60数年生きて来てキミたちは何を学んできたの?もっと勉強しなさいな勉強を、真実を知る学習を!〜カウンター2時間におよんだ議論の末に深夜1時、私は複雑な想いを胸に、うしろを振り返ること無く店の扉を後にした。

今起きている時代の深層もしくは真実を知ることができないでいる幾人かの奄美の人々よ、かつて沖縄戦で地獄を見た琉球の人々の心からの叫びを聞き、そして彼らに学んで欲しい。平和である尊さ そして命のたいせつさを。
未来あるたいせつな子供たちに、伝えるべきことを。
命ど宝(ヌチドゥタカラ)!


くり返す、

見よ この現実を
小西 誠 の勇気あるレポート!
https://blog.goo.ne.jp/shakai0427

目覚めよ 奄美の人よ 故郷の同朋よ

平和の最大の敵は 無関心 である
戦争の最大の友も 無関心 である

くり返すな 歴史の過ちを。
命ど宝 (ヌチドゥタカラ)!


要注意!
そして、島の一般住民への説明無しに
瀬戸内町を防衛省に勝手に売り飛ばす方々
この信用ならぬ人たちの言動に注意されたし。


それにしても琉球・沖縄と、奄美・鹿児島におけるメディアとしての新聞の社会的役割の本質、伝えるべき主幹・内容の違いは、いったい、どうなっているんだろう?… 不思議でならない。 
琉球・沖縄で暮らしていると、日本政府や奄美に対する鹿児島県政の大ウソ・ハッタリ、そして島々に対する「差別」が透けて見えてくる。










2019年6月3日月曜日

YAMAHA XT500

あのサウンド そして加速感 再び!

 某バイク雑誌の編集者から
YAMAHA XT500 のバイクと当時のキャンプ・スタイル、そして道具の事をイラストに描いて欲しいとの依頼があり、彼の希望をふくめ、イラスト・ラフと ついでにページ構成・ラフを描き送った。
 聞けば〆切までの時間があまりないとの事、デザイン・レイアウターが悩まないように、かつイラストが彼の希望を完璧に表現でき、ページを開いた瞬間、それに出会う読者がページの隅々まで覗き込み、そして彼の言わんとする事が読者に伝わるようにとの想いを込め描き上げた。
 さて原稿はいかに〜乞うご期待。
  某バイク雑誌 今月発売 也



奄美 自衛隊配備に抗う 〜その1




私は 故郷・奄美大島での 
自衛隊ミサイル部隊配備に 反対する。



宮尾節子さんの詩「明日戦争がはじまる」が 
こころに語りかける。


明日 戦争がはじまる

まいにち
満員電車に乗って
人を人とも
思わなくなった

インターネットの
掲示板のカキコミで
心を心とも
思わなくなった

虐待死や
自殺のひんぱつに
命を命と
思わなくなった

じゅんび

ばっちりだ

戦争を戦争と
思わなくなるために
いよいよ
明日 戦争がはじまる


見よ この現実を
小西 誠 の勇気あるレポート!
https://blog.goo.ne.jp/shakai0427

目覚めよ 奄美の人よ 故郷の同朋よ

平和の最大の敵は 無関心 である
戦争の最大の友も 無関心 である
くり返すな 歴史の過ちを。
命ど宝 (ヌチドゥタカラ)