雨や風はもちろん、雷の落ちる中でも、タープの下で焚き火を熾して、温かいラム酒入りミルクティーを楽しんでいる。
無人島では、タープを斜めに張って雨水をカヤックのシーソックスに溜め込み、有り余る雨水でお天道様の照りつける中、水風呂だって楽しめるのだ。その後は日中の灼熱太陽パワーで、夕方には暖かい温泉の湯加減も味わえる一石二鳥の天然風呂なのである。
タープをたたく雨音のなかで、漕ぎ疲れた身体を横たえ、ウトウトと眠りにつく事の至福感は、これまたシーソックス天然風呂に、勝るとも劣らない心地よさである。
寒い季節の砂浜で、雨が降り、ときおり風に吹かれる。小さな焚き火を絶えることなく燃やしながら、お湯を沸かしつづけ、簡単な温かい飲み物や食事をとる。
いつしか雨は上がり、風が止み、暖かい太陽が雲の切れ間から顔を出す。陽の暖かな温もり、そのありがたさ。
南の島の、全天候型タープ・ビバーグの楽しさ、面白さ。
これだから「無人島への脱走」は ヤメられない。
10年前の夏、奄美大島の南部・瀬戸内町のヤドリ浜で台風上陸のチャンスを待っていた。予報では比較的小さめの台風で、奄美直撃のコースを通過するとの事だった。
通過2日前からヤドリ浜キャンプ場で、シュロの木にカヤックをロープで縛り、それを風よけにしてすぐ脇にタープを張った。手首ほどの太さもある木の枝で60~70cmほどのペグを仕立て、芝に斜めに打ち込みタープとカヤックをガッチリと固定し、台風上陸に備えた。
実際には100km手前を台風は北上し、吐噶喇(とから)を暴風域に九州へと駆け上がっていった。とはいえ、台風である。大島海峡の太平洋側入り口に当たるヤドリ浜沖は、30~35mの強風と浪高10mの外洋のウネリが吹き荒れていた。
台風通過のまる2日、暴風雨の中、タープをたたく雨音のドラミングと、木々と電線の風切り音の凄まじい、ただ笑うしかない世界だった。インナーメッシュの中は、タープの星空の様な小さな穴のいたる所から、シャワーのように雨が吹き込みビショビショになった。雨水が溜まるとバスタオルやカヤックのビルジポンプとスポンジで排水作業に精を出しつつ、こんな嵐の中でタープ・キャンプしているバカは他に居ないだろうなと想うと、ただただおかしくて笑いがしばらく止まらなかった。雨が止むとここぞとばかりに、ただひたすら眠り込むのだった。
そして3日目の朝、アカショウビンの鳴き声に始まり、山鳩の鳴く声と小鳥のさえずり、カラスの声、そして最後は蝉(セミ)の大合唱に起こされた。
タープから出ると、アダンの向こう、海側から聞こえるズドド~ン、ズドド~ンという波音の響きにおどろき、あわてて浜へと駆け下りていった。
10mほどもある外洋のデッカいウネリが、サンゴのリーフ際で4~5mの荒波となって崩れ落ちているのである。
その美しさの感動のあまり、2時間ばかり波景色に見入ったあと、7~8時間かけてその荒波の様を、夢中になってスケッチしたのだった。
ヤドリ浜沖大波全図
17年前、雑誌「アウトドアイクイップメント」の創刊を機に、シーカヤックの世界にのめり込んでいった。
編集部の棚奥深くに仕舞い込まれていた、ファルフォークのフォールディング・カヤック[ベルーガ]を担いで、バラストを兼ねたキャンプ道具と水・約30kgを前後に詰め込んで、奄美のシーカヤックマラソン40kmを4時間10分で漕ぎきった。レースの翌日、反時計回りで加計呂麻(カケロマ)の周りに点在する5つの無人島を漕ぎ渡り、1週間かけて加計呂麻を一周した。
その3日後、沖縄へと飛んで、知念の浜から久高島へ漕ぎ渡り、島を1週して南側の砂浜で2泊キャンプをしたあと、帰路途中のコマカ島を経由して知念へと戻った。
それから1ヶ月後の8月の終わりごろ、今度は西表へと飛んで北西部海岸ゴリラ岩あたりの砂浜で、満天の星空の下で2回ばかり気を失った。
それから約15年間、白いベルーガはわたしを色々な所へ連れて行ってくれた。旅で出会った多くの感動は、スケッチというメモ描きに姿を変え30余冊のクロッキーブックとして記録された。
カヤックの旅を通して、絵の道具が整理され、ポケットに入る水彩絵の具とペンテルの水性ペン、それとクロッキーブックの3つになってしまった。以来、仕事のデザインワークも、描くイラストレーションも、この3つの道具でこなしている。
そして旅のスケッチは、いつの間にか下書きがなくなり、ダイレクトな水性ペンによるドローイングが基本となり、一筆描きの駆け抜ける線が自分のタッチとなった。
3年前の夏、とあることでベルーガのコーミング・キャッチの布地が、経年劣化のため組み立て中に裂けた。2度ばかり補修したがとうとうボロボロになり、波立つ中ではスプレースカートとの隙間から海水がジャブジャブ浸水するようになった。と同時にスターン・デッキのメイン・ファスナーの取っ手が壊れ、レザーマンのペンチ機能でなんとか挟み込んでスライドさせるはめになってしまっていた。15年共に旅を続けた「ベルーガ」もくたびれ果て、さすがに満身創痍の状態では島渡り・海峡横断は厳しく、セーリング・カヤックとして沿岸のライト・セーリング&パドリングだけで遊んでいた。
沖縄カヤックセンターの仲村さんから中古艇ニンバス[ニアック]を手に入れ、しばらく乗っていたが、波圧に反発するリジットの固さになじめず、サバニレースやサバニ旅に気をとられ夢中になっていたこともあって、しばらくカヤックから遠ざかっていた。
そうこうしているうちに、今年の7月上旬、琵琶湖北西部にあるフェザークラフト・ショップ「グランストリーム」の10周年記念ツーリング〜奄美・加計呂麻一周フォールディング・カヤック旅に飛び入りで参加させてもらった。その折にショップオーナーの大瀬さん推薦する新艇[ヘロン]を1週間ばかり借りてガンガン乗り回してみた。
コクピットのホールド性は、ぶかぶか外人サイズのK1と違い、限りなく[ベルーガ]に近く小柄なわたしでもしっかりと膝でニーグリップでき、嬉しいことにラダーペダルの踵部分がフットバー固定式となっているため、踵(かかと)と膝(ひざ)、そしてその2カ所をグリップすることでお尻まわりのホールド性もアップし、踵・膝・腰の3ヶ所のボディーグリップにより、パドルでキャッチした推進力をロスすること無く100%船体に乗せることができるのだった。
MSRウオータージャグ6リットルと4リットル2本の他に積載テストとして2リットルペットボトル8本、飲み水合計26リットルとキャンプ道具15~20kgを詰め込んだ。積載量はベルーガの1.5倍の積載能力があり、かつその積載状態でもベルーガの1.5倍ほどの巡航速度でガンガン進むカンジに驚いた。
直感で「コレだッ!」と決めた。
加計呂麻一周フォールディング・カヤック旅の終わりに、大瀬さんにカタログに無いボディーカラーが白色の「ヘロン」を特注で頼んだ。船体の色が白の理由は改めて別項で話すとして、その理由を大瀬さんに伝えたところ、フェザークラフトの社長ダグ・シンプソンに直接頼んでみるとの事になり、わたしのワガママを了解してもらえることとなった。もちろん帆走用に、帆柱差し込み口の穴も船体バウデッキに設置してもらった。
来年から、2年ぶりに自分の新艇「ホワイト・ヘロン」白鷺・しらさぎ号と共にフォールディング・カヤックの自由な旅が、新たなスケッチの旅が、また始まる。
ガンガン漕ぐぞぉ~
ビュンビュン風を捕まえて 飛ぶぞぉ~!