2012年10月9日火曜日

万願寺とうがらし



 先月、若狭の海を少し漕いで、2泊3日のシーカヤック・キャンプを楽しんだ。
「原人キャンプ」と称した、ガスおよび石油系バーナー・ストーブ類 持ち込み禁止!というテーマが気に入り、東京から若狭湾・美浜までの距離470kmを、高速道路5時間ばかり車でカッ飛び、強行参加したのだった。
  そのキャンプで、はじめて「マンガンジ」なる食材を知った。
 参加したパミール高原(たかはら)がフライパン片手に、「マンガンジ!マンガンジ!」と連発するので、気になり、「マンガンジ!って、ナンじゃらホイ?」と尋ねれば、「関東はシシトウ、関西ではマンガンジ!」との答え。
 火床のフライパン覗き見れば、なんと若草色の細長いピーマン?24~25本が、胡麻油の香りの中でコロコロ踊らされているではないか。
 仕上げに塩コショウをパラパラとふりかけたその味は、ピーマン香る肉厚な皮の噛み応えの中に、ほのかな甘みがひろがり、ヘタ近くタネ部分のわずかな辛みとの掛け合いが、「うッ、うまい〜!」の感嘆詞を叫ばせる。これは完全に「関西マンガンジ」の圧倒的勝利!、というより、関東のシシトウと比べるもなく、まったく別物であった。正確には「万願寺とうがらし」という名の由緒ある京野菜らしい。 
 この旅での出合いを機に、東京都内のスーパーや八百屋にて「万願寺」を探し求めたが、どこにも販売しておらず、あきらめはそのうち忘却となり、「万願寺」は記憶から消えかけていた。
 そんなある日、中央高速の山梨方面にドライブに出かけ、途中、休憩で立ち寄った某サービスエリアの、地場産特設朝市コーナーを何気なく覗いた。すると目の前のザルの中に、な、なんと、若草色に輝く細長いピーマンを見つけた。ラベルに優しい手書きの文字で「万願寺とうがらし」と書かれており、ナナなな、なんと、価格は1袋14〜15本入りでたったの、ヒ、ひッ、百円!である。
 ここで会ったが100年目とばかりに、10袋ばかり積まれたザルごと買い占めようと思ったが、さすがに独り占めは気が引け、5袋を握りしめ会計のレジへと向かったのである。
 この日の夕食以来、大酒飲みのカミさんも「万願寺」を、ことのほか気に入り、今では「万願寺」がなくなるたびに、週末ドライブがてら山梨方面に高速をカッ飛ばしている。
 そうそう、わが家の食卓では現在、「万願寺とシシャモ」の組み合わせが一番のお気に入りで、ここしばらくは大皿盛り合わせが、続いているのだった。
パミールに感謝!   ~(敬称略)



2012年10月5日金曜日

背筋補正ベルト


深夜のテレビ通販 「背筋補正ベルト」広告
たまらず、 スケッチ してしまいました。
*参照テレビ通販 背筋補正ベルト 
           http://www.666-666.jp/product/1505.html 
          (*動画1分30秒の 約50秒あたり イラストのオバさん登場!)

深夜に、イチローの試合の結果を見るつもりが、別チャンネルのオバさんの「お腹がへこんで見えますヨ」がツボに入り、もう大変でした。
腹がへこんで見えるって…… 


   そして 戦後史の正体について。
それにしても孫崎 享(まごさきうける)氏の著書/創元社:発刊「戦後史の正体」は、この現代日本における政治、経済、社会全体の閉塞感の根源が、どこにあるかを読み手に考えさせる素晴らしき名著である。
 混沌とした暗闇を憂う者、明日を生きる多くの若者にとって必読の書。特に、メディアに準ずる職業に従事する者であれば、この書に多くを学び直し、反省をもって明日から己の歩むべき道を知らしめてくれる、と断言する。
まだ、目の鱗(うろこ)が落ちていないヤツは、すぐに書店へ走ろう! 1,575(本体定価1,500+消費税575) 握りしめて!

2012年10月2日火曜日

海を漕ぐ ~その4 「癒しの湯」と「満月風呂」



 奄美・加計呂麻一周カヤック旅の途中、江仁屋離(エニヤバナレ)にて一人だけ時間切れとなり、近くの実久・集落へと戻り帰京することになった。
 古仁屋(コニヤ)を漕ぎ出て3日目の朝、離脱する仲間を見送り、旅を続ける我ら16人は、次ぎなる楽園を目指し無人島・江仁屋離の白浜を後にした。
 漕ぎ出して1時間過ぎた頃、チームリーダー大瀬がGPSの速度表示によると、引き潮に乗るはずの潮の流れが弱く、入り江脇の反流のせいか、思いのほか巡航速度が上がらないと言う。シーカヤック・シングル艇なら荷物満載でも、潮の流れにもよるが、普通に漕いで3ノット*(時速約5.5km)、潮に乗れば4~5ノット(時速約7.4~9.2km)で進むはずである。ちなみに、ダブル(二人)艇なら荷物満載の場合、同じ条件でシングル艇に比べ+0.5〜0.7ノット加速し、ピッチが揃うと平均で4ノット(時速約7.4km)で巡航できる。(*1ノット:時速 約1.85km/h 換算)
 のんびりと漕いではいたが、山当てや岬のライン、左岸の岩のズレ具合を指針に、私はそれなりに速度を感じていた。しかしGPSの速度表示は想いもよらぬ時速3~4kmしか出ていないらしい。また先頭を漕ぐ大瀬から見て、後方舟列も先日までの漕ぎ具合に比べると、どうもタテ長に延びるようになってきたと言う。  
 シーカヤック・マラソンレース35kmを一気に完漕し、4~5日に及ぶ野宿を共に過ごしてきた、仲間たちの疲労度を感じとったリーダー大瀬の判断で、明日からの旅へのリセットということになり、急遽、西阿室(ニシアムロ)にある私の実家にて、一晩休息を取ることになった。


 その夜、就寝前にみんなで、大潮4~5ノット激流を越えての無人島「ハミャ」へ渡る可能性を話し合った。その結果、残りの日程を考えて加計呂麻一周を優先することとなり、今回チーム全員での「ハミャ」へのアプローチは中止となった。各自の漕波力を知るリーダー大瀬の提案とその英断に、全員一致での合意となったのである。
 明けて4日目の朝、西阿室を漕ぎ出す。1時間弱で5km進み風崎(カザキ)の岬に到達する。正面・与路島(ヨロジマ)と請島(ウケジマ)の間・沖合い3km先に無人島ハミャが見える。ここ風崎は加計呂麻で一番高い山・風崎岳(カザキダケ)がそのまま海へと切り立っていて、岬回りは強風吹き荒れ、潮がぶつかり大きな三角波の立つ難所のひとつである。にもかかわらず今回はラッキーなことに、さわやかな潮風そよぐ穏やかな海であった。

 我々はここから、あこがれのハミャを横目に風崎を左に回り込み、請島を右舷に見ながら、14km先の諸鈍(ショドン)集落を目指すことになった。途中二度ばかり砂浜に上がって休憩をとり、お昼過ぎには諸鈍に到達する。各自それぞれ集落の食堂や売店にて昼飯をすませ、しばらくして1.5km手前の浜に戻ってキャンプすることになった。途中の小さな滝で水浴びをしたあと、最終キャンプ地の砂浜に午後3時ごろ上陸したのである。
 みんなで舟を担ぎ上げ、テントやタープを張り終えたあと、いつものようにシュノーケリングや釣り、そして共同タープの日陰でのんびり昼寝と、皆それぞれに奄美の海辺を、マイペースで満喫するのだった。
 砂浜の左側には、海に向かって小さな沢水が流れ出ていた。
 パミール高原(たかはら)と初恵(はつえ)の二人が、沢を小石で堰止め、流れに水たまりをこしらえていた。途中から私とルミ子、そしてスコップを片手に松尾のシゲさんも加わり、みんなで仲間たちの汗を流すためにと「癒しの湯」を作りあげていった。
 少しづつ流れ込む沢水は思いのほか冷たく、みんなでキャーキャー言いながら一人づつ水風呂「いやしの湯」に浸(つ)かってみた。その楽しさのあまり、仲間の誰かを捕まえては、半ば強制的にと誘い込み、風呂に浸からせるのである。
 水の冷たさは、陽焼けに火照った身体にしみわたり、入水始めは全員「ウオォ~ッ」と身がちぢこまる。そこへ間髪入れず「はいはい、イタイのは最初だけ、すぐにキモチよぉ~くなりますよぉ」と支配人パミールの甘いささやきと同時に両肩を押さえ込まれ、数人から全身にチャプチャプと冷水をかけられる。「ウオォ~ウオォ~ッ」と雄叫びがあがったところで「イイ子おりまんがな、イイ子やでぇ~はい!イイ子たちサービスしてなぁ~」の支配人のかけ声と共に、初恵とルミ子が石けんと小石で、チクビをクリクリと限りなく優しく撫でるので、たまらず男ども全員「ウオォ~ウオォ~ッああぁ~~~」っと快感のあまり、そのまま昇天するのだった。
 湯上がりトドメに、奄美特産・黒糖焼酎里の曙(さとのあけぼの)〜を、強引に巻貝の盃で飲まされ、「エ~ご入浴とお酒で、はい2万5千円いただきます。ご請求書はどちら様へ~?」と、番頭の私がお代を告げるシステムが、あっというまに確立したのである。
 長風呂と大酒飲みは、最高4万8千円もボッタくられる始末となリ、当初の志(こころざし)高き「癒しの湯」は、気がつけば、濡れ手に粟(あわ)ウハウハ商売の「いや(ら)しの湯」に様変わりしていたのだった。  
 そんなこんなで、大騒ぎしていたら、対岸の空にたなびく雲間に真っ赤な夕陽が沈んでゆく。西の空が七色に輝いたあと、黄金のオレンジと茜色に染まり、紫色の夜の帳(とばり)が大パノラマの空一面に降りてきた。 


 夕食を済ませたあと、幾人かで焚き火を前に、この旅の出来事を笑い合った。私は先日の夜に1~2時間しか睡眠を取っていなかったので、眠気に誘われるままフラフラとタープへ戻り、そのまま気を失った。

 みんなの騒ぐ声で気がつき起きてみると、沢の奥に毒蛇ハブがいたらしい。私は沢近くの砂利場に、タープの下でゴロ寝をしていたので、あわててモスキート・ネットを張り直し、底の上下左右を小石で塞ぐのだった。
 それからというもの、なかなか寝付かれずウトウト居眠り状態が続いた。深夜にふと目が覚め浜を見たら、満月の光で砂浜が明るく照らされていた。ハブが気になりタープの回りをマグライトで見回り確認する。そして、あまりの明るさに浜辺に出て満月を見上げた。しばらくして風呂をのぞくと、なんと、満月がキモチ良さそうに、ひとり静かに入浴していた。
「癒しの湯」を「満月風呂」と名を改め、ハブにおびえながらモスキート・ネットに潜り込んだ。入り口を完全に小石で塞ぎ、そのまま気を失いつつ、ハミャのソリ滑りをひとり夢見ながら、静かに眠りに就くのであった。 〜(敬称略)

 ああ「満月風呂」よ ふたたび。