2012年9月18日火曜日

海を漕ぐ 〜その2 ハミャ


 遠く 小さな無人島ハミャの砂浜が 白く輝いている。

 小学低学年のころ故郷・西阿室の堤防で、叔父さんが ハミャ(*) の砂浜を指差し「あの白いハミャの浜は、スキーができるくらい砂が高くせり上がっているから、板を持って行って滑ると面白いよ」と教えてくれた。雪を一度も見たことの無い南の島育ちの私は、幼心にもその滑走感を想像するだけで小さな胸がときめき、いつかぜったい滑りに行くぞと、心に決めたのであった。
 40才を過ぎた小学33年生は、はじめて白い[ベルーガ]フォールディング・カヤック・シングル艇で、全航程38kmの奄美シーカヤック・マラソンを4時間11分で完漕した翌日、古仁屋の港を漕ぎ出し、対岸の加計呂麻(カケロマ*)を反時計回りに、実久、江仁屋離、そして西阿室へと3日かけて漕ぎ渡った。1日休んだ翌日、南南西8km沖に浮かぶハミャの白い砂浜を目指し、西阿室の港からひとり漕ぎ出したのだった。もちろんスキーならぬソリ用として大きめのダンボールを一箱折りたたんで持ち込んでいた。


  引き潮にのり約1時間30分をかけ、ハミャの手前・左側の砂浜にたどり着いた。そこではまず波うち際の砂のせり上がりに驚いた。波うち際から一気に40度の角度で砂浜が1m50cmほどの高さにせり上がっているのである。飲み水とキャンプ道具満載のベルーガを陸揚げするにも、砂に足を取られ舟を上げることが出来ない。 急遽、島の真ん中あたりの比較的低い波うち際の浜から再上陸したのだった。

 左側にせり上がる砂浜を見て、最初は「あれっ…こんなもんかぁ〜……」と想いのほか小さく感じ、拍子抜けする。が、ライジャケとスプレースカートを脱ぎすて、とりあえず砂浜を駆け上がってみて驚いた。せり上がった砂浜の3分の2ほど登ったところで、勾配の角度が一気に急になり四つんばにならないと登れないのだ。這いつくばり、崩れる足元の砂を踏みしめて頂上のアダンの茂みに、やっとのことでたどり着きその枝にぶら下がった。そして振り返えり見下ろした砂浜の高さにまたまた驚いた。ビルの高さにすると5〜6階はあるだろうか、下から見上げるのと、上から見下ろすのとでは大違いである。5~6階建ビル屋上の縁に立ちすくんでみることを想像するといい、メチャめちゃ高いのである。


  驚き、興奮する気持ちのまま意を決し、枝から手をはなして一気に駆け下りた。一歩が3〜4m越える落下のスピードに、崩れる足元の砂のふんばりが利かずいきなりズザァ〜〜っと転んだ。顔じゅう砂まみれになり、滑りながら立ち上がって駆け出したら、足が追いつかず2〜3歩進んだところで、またまたズザァ~と前のめりに転んでしまった。
 滑り止まった全身砂だらけの状態で、斜面に寝転んだまま腕枕を立て、眼下のエメラルドグリーンの海を見回した。 広々とした白い砂浜に、ひときわ真っ白に輝く「ベルーガ」のデッキに置かれた赤いビルジ・ポンプ、そして島の左岸・岩場沖で飛び交い、次から次へと真っ青な海面に飛び込む白いアジサシ200〜300羽の群れを、潮風に吹かれながらしばらく眺め続けていた。

(つづく)

(*)●請島(ウケジマ)と与路島(ヨロジマ)の間に浮かぶ無人島[ハミャ]の島名は、国土地理院発行の海図にはハンミャと記載されているが、地元の漁師たちは[ハミャ]と呼ぶ。生前の父に、海図を前にしてハンミャのことを聞いたことがある。父は開口一番、「ハンミャじゃないよ、ハミャよね。島の言葉で 間(はざま)という意味で、請島と与路島の間という意味の ハミャ と言うんだよ」そして海図をのぞき込み「加計呂麻島(カケロマジマ)は間違いよね。カケロマの「マ」は島という意味なんだよ。沖縄にケラマ、ハテルマ、イケンマ、タラマとかあるでしょう、あのマはみんな「島」って言う意味なんだよ。この海図の呼び方は大和(ヤマト)ンチュが勝手につけた当て字で、正確じゃないよ。」と伝えてくれた。それ以来、ハミャ、カケロマ と古来からの地元の名で呼び語っている。

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