2019年3月16日土曜日

シーカヤック ・ひとり旅〜その2

 幾人かの仲間たちとシーカヤックで海旅を重ね、漕舟技術を身につけ40余kmのレースで自己の漕波力を確かめる。潮の満ち干きを覚え、海風の中を漕ぎ航り、潮の流れを理解する。 
 その積み重ねた経験をもとに、ある日、満を持して大海原へとたったひとりで漕ぎ出した。
 シーカヤックを漕ぎ始めた1996年の夏、大島海峡・赤い岩の岬・デリキョンマから、東シナ海側の出口近くにある「実久」集落の7km区間は、低気圧接近の影響で、途中の「芝」集落の左側の岬・飛び岩を過ぎたあたりから、外洋の波高4〜5mの巨大なウネリが入り込んでいた。
 横なぐりの雨風吹き荒れるなか、外洋の大波と孤独との戦いは2時間半にもおよんだ。

 雨に打たれ、風に吹かれて潮に流され、日没1時間前にやっとの思いで「実久」集落の砂浜へとたどり着く。

 明けて翌日、昨日の外洋のウネリが嘘のようにおさまった夕刻4時過ぎに1km先の無人島へと漕ぎ出した。満潮のタイミングで無人島の西に面した入り江に入り、5時半に三日月状の砂浜に上陸。
 カヤックを引き上げ、タープを張り寝床と火床を1時間かけて設営する。水平線彼方に沈みゆく夕陽をながめ、西の空一面に広がる刻一刻と変化する大パノラマに感動する。その後におとずれる夜の帳の静けさと暗闇の深さ、そして満天の星々の輝き。
 タープ下、赤々と燃えゆく熾き火、その温もりを浜にそよぐ潮風を通して体に受けつつ、前日のフル・パドリングの疲労と左岸磯場に砕ける波音を夢枕に、いつしか深い眠りに落ちていた。

 シーカヤック・ひとり旅は、そんな充足の日々へと私を誘ってくれるのだった。
 

 真実は旅にあり 知ることの喜び






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