タープ暮らし 〜その1
雷鳴轟く その昔
バリバリ ピカッ!ドッカァア〜〜〜ン! バリバリバリィイ〜〜!!
横殴りの豪雨の中、わたしの半径200〜300m以内にカミナリが落ちた。
マグネシュウムが焼ける様なストロボ閃光と、耳を劈(つんざ)く雷鳴、そしてズドンッという地鳴りが、ほぼ同時に響き光った。
そのとき一瞬 電気のコンセントがショートしたときの臭いがした。
あわてて30m遠くに置いた、雨にけむるオフロードバイク・XT500に目をやった。
タンクの鮮やかな黄色と、サイドスタンドで少し斜めに傾いた立ち姿に、胸を撫で下ろしたとたん、またまたピカッ!バリバリバリィイ〜〜!と、閃光と雷鳴が走った。
早朝、東京出発時の明け行くコバルトの空は、ラジオ予報のとおり快晴そのものだった。国道20号線、八王子を過ぎた高尾駅手前の長い直線道路で、バイクの右バックミラーに、昇る朝日がオレンジ色に輝いていた。
相模湖をクロスして、道志街道をぬけ、山中湖畔にたどり着いた時には、目の前に雲ひとつないデッカい富士山が、ズドンと朝日を受け大パノラマでそそり立っていた。
富士吉田の浅間神社脇・登山口から滝沢林道を駆け上がり、富士の五合目に着いたのはお昼12時少し前だった。五合目のデッカいワラジ横のレストランで温かいうどんを食べた後、下界の大パノラマをしばらく眺めていたら右手・御殿場上空が白く霞みはじめていた。缶コーヒーを飲み終え、夕方6時の帰宅を予定し、駆け上がって着た滝沢林道を折り返し下りはじめる。眼下の山中湖方向上空は、いつのまにか雲に覆われ湖が姿を消していた。
滝沢林道を半分下りたあたりで、突然、空が黒い雲に覆われた。と同時にポツポツ小雨が降りて来た。バイクを停めカッパを着込んだアタリから、雨は一気に強くなり、午前中の晴天がウソのようなザーザー降りへと変わっていった。
林道の残り1/4あたりでカミナリが光り、バリバリバリと遠くで雷鳴がした。
アタリが薄暗くなり、突然、ザァ〜〜〜と横殴りの雨が降って来た。下る林道に幾スジもの水の流れができ、まるで浅い川の中をバイクで走っている感じだ。
ビショビショのガレ道(雨水の流れで凹みができ、大小の石がゴロゴロ転がっている道)を過ぎ、勾配のおだやかな樹海・森の中の林道にたどり着いた時は、嵐の中の激しいドシャ降り雨だった。ズブ濡れのゴーグルでは10m前方の視界しか拾えず、速度20km前後でアイドリング走行していた。と、突然、後の方で バリバリピカッドッカァア〜〜〜ン!とカミナリが落ちた。
その近さと、地響きにおどろき、あわてて森の木々の中に逃げ込み、エンジンを切ってバイクを停め、後の小さな荷台のデイバックをはずし、とりあえずバイクから距離をとり、木の下にしゃがんでズブ濡れの雨の中、遠くのバイクを不安げに眺めていた。
突然、
バリバリ ピカッ!ドッカァア〜〜〜ン! バリバリバリィイ〜〜!!
と、かなり近くで、閃光と雷鳴、そして地鳴りが、ほぼ同時に響き光ったのだった。
雷鳴轟く豪雨の森で、なす術も無く、ただひたすらバイクと降る雨にけむる森の木々を眺めていた。
そんな激しい状況でも、不思議な事に、まさか自分のところには落ちないだろう、と云う根拠の無い希望的楽天願望を失わない冷静な自分がいた。
20代前半のその頃は、バイクに有り金のほとんどをつぎ込んでいたので、デイバックの中は後輪のチューブ、パンク交換キット、プライヤーとハリガネや予備プラグなど転倒時のマシン修理道具ばかり。キャンプ道具などナニひとつ無く、せいぜい米軍放出品のデカいポンチョ1枚と、肥後の守ナイフそれに太めのタコ紐(ひも) などしか携帯していなかった。
ドシャ降りの雨の中、ポンチョを広げ小枝を差し込んで小さなシェルターを組んだ。右側から雨が吹き込むので、ウインドブレーカー兼用のカッパを組み足して、嵐が過ぎ去るのを楽しんでいた。
2時間ばかり過ぎて小雨になり、雲の切れ間から青空がのぞきはじめた。
びしよ濡れの小枝をナイフで切りさき、真ん中の乾いた部分をササガケに削り出し、緊急時の予備燃料とし携帯していたジッポー缶のオイルをふりかけ、ライターで火をつけ小さな焚き火を熾した。休憩時用に忍ばせていた缶コーヒーを開け、ハリガネで吊るして温めた。
これがわたしの、始めてのタープ・ビバーク体験となり、その後の「想像(創造)力と工夫次第で、どうにでも成る」という、キャンプ暮らしの原点となったのだった。
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