2011年10月2日日曜日

真実は「旅」にあり。

口之島 南西7km沖
 
 沖縄に毎年6月の下旬から7月上旬に吹く南風を、カーチベー(夏至南風)と呼び、南の温かな風が梅雨前線を北へと押し上げる。この風が吹くと沖縄・奄美地方は一気に梅雨明けとなり、まぶしい太陽の光が降り注ぐ初夏へと季節を変える。
 カーチベーは10日から14~15日の間吹きつづけ、はじめの3~4日は10m/秒・前後の強い風が吹き荒れるが、残りの10日間は心地よい温かな風が吹くと同時に天気は安定し、海は穏やかな6~7m/秒の南西の風が吹き続ける。かつての沖縄・奄美の人々は、サバニという7~8mの木造小舟に帆を張り、この風を利用して互いの島々を行き来していたのだ。
 ここ数年、7~8人の仲間たちとサバニを漕ぎ、帆にカーチベーの風を受けて沖縄・奄美の島々を航る旅を幾つか重ねてきた。そのサバニ旅の集大成として、今年、ここ沖縄から、サバニの舟材である宮崎の飫肥(おび)杉の積出し港・油津(あぶらつ)の日南市までの800kmを目指し、6月28日に沖縄の本部(もとぶ)港を漕ぎ出た。途中、吐噶喇(とから)列島の宝島にて天候不順の7日間、そして台風6号避難のため屋久島60km手前の口之島(くちのしま)に10日間、計17日間も島々に閉じ込められたのだった。
 そんな中、口之島での台風避難生活10日間の話。
 台風6号が接近してきたので翌日からの台風波のウネリを避け、ここ口之島にて早々とサバニを陸揚げしてガードレールなどに固定しようと、避難・停滞対策を行なっていた。そこへ島の漁師4~5人が駆け寄って来て、舟の避難場所のアドバイスや固定ロープの取り回しなどを手伝ってくれたのだ。ありがたいことに、台風が通過するまで空いてる一軒家を提供するとのこと。後で聞いた話では、全室4部屋の上げてある畳を敷き直し、ガスボンベを運んで設置し、水道・電気をわざわざ開設してくれたのであった。しかも、露天風呂・温泉へと案内され、そこへ通う足として2トン・トラックと4人乗りの軽ワゴンの車2台を「しばらく使っていいヨ」と、これまた、こころよく貸してくれるのである。
 圧巻は、その日の夕刻から、島民の幾人かが入れ替わり立ち替わり、栄養ドリンクやスポーツドリンクなどの飲み物とお酒、そして地場産の野菜や魚、はたまたお米5kgやカップ焼きそば1ケース10個入りを、そして翌日にはなんと新品の下着やアロハ・シャツなど洋服まで届けてくれるのだ。滞在中、誰かしらが野菜やお酒、そして飲み物やお菓子などを、ほぼ毎日といっていいほど届けてくれるのであった。
 旅の途中、奄美の島々や宝島など吐噶喇の多くの島でも、その都度、心温まる多くの親切に助けられた。
 ある島では、見知らぬオジイがやはり栄養ドリンクと、ビールと缶コーヒーをクーラーボックスに満杯の氷詰めで届けてくれた。その夜は、ガスコンロ、金アミ、塩・コショウ、焼き肉のたれ、風よけの段ボール持参で、オジイが仕留めたイノシシ肉のバーベキューを、全員たらふくご馳走になった。また、とある島では、日焼けで赤くなっている僕たちの肌の様子を見て、老夫婦のお二人がご自宅の庭からアロエをドッサリ刈り取って届けてくれたりと、いたせりつくせりの「充足の日々」を送るのであった。
 そんな多くの親切にささえられ、我々の、2011年・沖縄~宮崎800kmサバニ旅は、7月28日、まる1ヶ月(内17日間は天候不順のため停滞)の航海を経て宮崎・日南市の油津港に無事・完漕到達したのである。
 その昔、かつての島々をサバニで渡り継いだ先人たちも、同じような温かいもてなしを各島々で受けていただろう。そして、そのご恩を受けた先人たち自らも、海の彼方から身体を張ってやって来る健気な人々にたいして、出来る限りのもてなしを施していたに違いない。日々~ギブ&ギブが根底に流れる社会の豊かさ~ということに気付かされた「充足のサバニ旅」だった。

真実は「旅」にあり。「知る」ことの喜び。

1 件のコメント:

  1. きれいものずき2011年10月2日 14:51

    ブログの復活おめでとうございます!
    お待ちしておりましたよ〜〜!!
    日々の更新楽しみにしております♪

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