2016年10月28日金曜日

琉球〜奄美 ウルマの海

ウルマ〜珊瑚の島 


シーカヤックやサバニで琉球~奄美の島々を渡っていくと、白波立つ断崖絶壁の磯場をはじめコーラルブルーやエメラルドグリーンの色とりどりの珊瑚礁など、多種多様な表情を持つ海辺の陸地と対峙することになる。
物心ついたときには、珊瑚の海があたりまえだった奄美生まれのわたしは、島をはなれ多くの旅を通して改めて、その海の尊さに気付いたのだった。

琉球王国では、ウルは珊瑚、マは島を意味する。
琉球国に属していたかつての奄美は、動植物をふくめ海や山河における自然の生態系や、島に暮らす人々の生活風習、食文化、および言語にいたるほとんどが琉球と同じ琉球王国の文化文明と自然そのものだったのである。

漠然とながめていた海辺の景色がひとつの時の流れで観えたとき、その全ての景色がフラッシュバックして脳裏に現れ、幾万年という悠久の時の流れがスローモーションの連続したシーンとしてよみがえるのだった。


愛おしく美しきウルマの海、そして清き島々、
永遠なれ!



大地と空の間で

 

八合目の赤富士


 昇る朝陽をながめている。
ここは富士山の八合目あたり。遠く東の空に太陽が輝き、下界の緑の山々に霞がたなびいてきた。
 巨大なごろた石に腰掛け、夜が明け始める一時間前から東の空をながめていた。遥か彼方の遠くにたなびく雲界の上部の空が、細長い虹の帯に輝いている。しばらくして空は茜色に変わり高い雲々がピンクに染まった。そのとき大気が動き、突風が私の体を突き抜けて行った。やがて東の空は黄金色に変化し、紫色の雲の間に真っ赤な太陽が輝きはじめた。
 
 昨日の朝6時に、富士山五合目から頂上を目指す友人と私のふたりは、一般の登山道をあえて外し、風上側に5~600mほど回り込んで富士山の自然な山肌、つまり火山礫のガレ場とゴロタ石の急斜面を登りはじめた。
 その途中のダイナミックで圧倒的な巨大な景色に感動しつつも先を急ぎ、ふたりで声を掛け合いながら黙々と登り続けたのだ。
 陽が陰り気温も一気に下がってきた午後4時過ぎに、やっとの思いで標高3,000mの八合目までの標高差1,500mを約10時間をかけ、よじ登ったのだった。
 夕刻6時の日没までに簡単な夕食をすませ、岩陰に耐風・山岳テントを張り防寒シュラフに潜り込んだ時は8時を過ぎていた。深夜、風にばたつくテントに目覚めふと外をのぞくと、空には満天の星々が輝き、下界の街の灯りは天の川のようにキラキラと煌めいていた。
 遠く風下側の八合目登山道に縦一列の帯状に小さな灯の行列が頂上へとうごめいているのが見える。その数2~300人以上だろうか、たぶん山小屋から頂上での御来光を目指す人たちのヘッドライトの灯なのだろう……。

 風に吹かれながら朝陽をながめていた。


 真っ赤な光を全身に受けながら、六合目の森林限界あたりに凛と生きずくハイマツの老木を思い出していた。
 いったいあの樹はこの厳しい世界で何百年生きたのだろう?と。一夜を過ごしてもその老木の姿が脳裏を離れず、スケッチ画をとおして向き合う想いがこみあげてきた。
 朝食のコーヒーを飲みながら友人に、御来光ツアーの人の多さと老木のスケッチの話をした。そして我々はここ八合目からの下山を選択し、登山道へと渡って一気に六合目へと駆け下りていったのだった。
 

 そしてその老木に向き合って感じたことがある。
 地球の圧倒的な引力に抗う富士山の斗出した反発力・電磁波を、私の身体の背筋を垂直方向・天へと引き伸す強烈な磁力として、体を通して感じたのだった。
 全ては太陽の元で始まり、太陽に生かされ、太陽を中心に自然の摂理・調和が営まれ、大地と大気・空の間で、生きとし生けるもの全てが、その「太陽」を中心とした「大いなる調和」によって生かされているということを、体感を通し自分自身の感覚ひとつで理解できたのだった。

EVERYTHING UNDER  THE SUN

IS IN TUNE