台風26号が関東地方を北上した先月17日ごろ、奄美大島の南部・瀬戸内町のヤドリ浜から、7人の男どもが、目の前に浮かぶ加計呂麻一周を目指し漕ぎ始めたのは、出発予定時刻より1〜2時間遅れの午後2時45分だった。
昼12時が17日の干潮ピークゆえ、潮が反転し動き始める1〜1時間半のタイムラグを考慮しての午後1〜2時出発予定で、満ち潮に乗る反時計回りのコース・プランであった。
日の入り6時として日没まで3時間、パドリング1時間半〜2時間・距離10km以内に設定して、とりあえず5〜6km先の「スリ浜」を目指す。
3km、40〜50分ばかり漕ぎ進んだ黒崎沖の大島海峡ど真ん中は、引き潮と満ち潮が複雑にぶつかり合い、あちらこちらに三角波が立ち、渦が巻き、盛り上がる潮の流れで、舳先(へさき)がアッという間に左へ50度以上押し流された。
こんなときは激潮に逆らわずに、流れる潮に乗りながら、一気に最短の岸辺を目指すのである。そして潮の流れが治まったところで、目指す方向へと転舵するのが、シングル艇のパドリングで最も安全な航海方法なのだ。
漕ぎ出してから1時間過ぎたあたりで、後方45度・方位〜北東からの風が急に強くなってきた。目指すスリ浜は北東に向かっての浜なので風に吹きさらされる事になる。それを回避するため、急きょ上陸予定地を変更し、風裏の浜として左後方に見える「渡連」の浜を目指した。
4時20分、渡連に着岸する。大潮のタイドラインと今日の風波を考えると、大きな渡連の浜への選択は最適であり、かつ日没6時〜7時からの夜の帳(とばり)を思うと、キャンプ設営2時間余の明るさは好判断だった。
1day〜初日、距離4.5km:約1時間30分パドリング。近くても大島海峡の潮の出入り口近くという、なかなかの一筋縄では行かない複雑な潮流と風、そして風裏キャンプ地選択という柔軟な状況判断にて、それなりに快適な初日の夜を無難に過ごす事が出来たのだった。
(つづく)
風防とペグダウンを兼ねたヘロンを風上に置き、風を逃がすようにタープを斜めに張る。グランドシートを敷き、モスキートネットを吊るして砂浜にゴロ寝ビバーク。10月後半の奄美の夜風は少し肌寒く、スリーシーズンのシュラフを必要とする。
智恵子の 空
深緑に輝く背の低いハイマツの茂みをぬけると、稜線遠くに目指す安達太良山の山頂・乳首(ちくび)岩場と、その左側の嶺づたい奥に、赤茶けた鉄山(くろがねやま)の岩場が切り立っている。その稜線上に智恵子のいう「ほんとうの空」が雲をたなびかせ輝いていた。
少しの休憩を終え、標高1700mの山頂にたどり着いたときには、いつしか青空は消え、目の前に隆起する巨大な乳首岩は、霧の中にボンヤリと薄衣(うすごろも)をまとっていた。
クサリ場をよじ登り、薄曇りの雲の中にたたずむ岩場頂上は、峰を越える風が吹き荒れていた。肌寒くも、乳首岩に抱きつき頬ズリしたら、下界の遠く彼方から、智恵子の「アァ〜ン……」というささやきが、風に乗ってかすかに聞こえた。?…気がした。
しばらくして、鉄山下渓谷にある「くろがね小屋」を目指し下山を始める。幾つかのトレッキング・コースが交差する分岐近くの岩場には、赤丸印の道標が頼もしく誘導してくれる。そして日暮れ少し前に、予定通り「くろがね小屋」にたどり着いたのだった。
翌朝、山小屋の周りは朝霧に囲まれていた。
食事を終えたあと、小屋の乳白色・源泉掛け流し温泉でのんびり朝風呂を浴び、霧の晴れた11時過ぎに下山を開始する。初秋に色づく紅葉を眺めながら整備されたトレッキング・コースをゆっくりと下りてゆく。
下山コース終盤に、安達太良渓谷の「渓谷・遊歩道コース」を歩く。
小さいながらも美しい数本の滝と、ミズナラやカエデ、モミジなど広葉樹林豊かなこの渓谷には、小さな秋が始まっていた。紅葉真っ盛りには、さぞかし美しい秋景色なのだろうと、滝横でしばし佇(たたず)み、錦(にしき)織なす紅葉に想いをめぐらす。
ふと見上げると、黄色く色づいたミズナラの向こうに、水色の青空がひろがっていた。
智恵子の言う「ほんとうの空」とは、
季節ごとに変化する色とりどりの美しい山々と、その裾野にひろがる集落の、田畑を潤し多くの命を育む豊かな「清き水」の流れ、それらを生み出す嶺峰にかかる白き雲や風、そして降り積もる真白き雪などの全てがひとつに重なることで、はじめて「ほんとうの空」であることを伝えたかったのかもしれない。
2011年3月 、あの忌まわしい原発事故以後、久しぶりに阿武隈山系を歩き、
悲しくも…、そんな想いが、
あの白い雲と共に、胸奥にひろがっていった。