ああァ~パソコンや机の前でデザインや絵ばかり描いていると10日間程どこかへ脱走したくなる。
映画の「大脱走」や「パピヨン」のスティーブ・マックイーン、ドガ役のダスティ・ホフマンのように
「バカ野郎、オレは生きてるゼェ~!」と、空に向かって叫びてェ~ 誰もいない、無人島で…
ある出来事でソロのシーカヤッキングを2年間もの永き間止められていた。とはいえ我慢出来ず、実はカミさんには内緒でコッソリと密かに、スキあらば漕ぎまくっていたのだが、2年解禁少し前にアルことでお許しがでた。
彼女に言わせれば、暴漕する私を見守る人が付き添いすれば良いらしい。昔から親に「鉄砲玉タカシ」と呼ばれ、土日祭日は一度家を出ると暗くなるまで外で遊び呆けていた小学58年生である。その性格の迷いは還暦過ぎた今でも1ミリの狂いも無い。
堂々とカヤックに乗れないので、コッソリとシーカヤック関連のウェブサイトを覗いていたら、千葉・鴨川にあるパドル・ウエーブ&トリップ・ショップ[Cetus/セタス]のオーナー羽鞍太(はくらふとし)こと笠原清孝が、いつのまにか笠原サタン清孝に氏名(うじな)を変えていた。
フェザークラフト社もフォールディング・カヤック制作販売を終え、時代は常に変化するのは当たり前だが、羽鞍太=フェザークラフトの洒落ッ気が私としてはお気に入りだったのでほんの少し残念である。それに笠原サタン清孝は氏名としては長ったらしいので、サタン笠原と個人的に呼ぶことにした。
ショップ・セタスのウェブサイト、カヤックコーナー覗けば、なんと日本でフォールディング・カヤックの老舗「フジタカヌー」とコラボして新しくシーカヤック「デルフィーナ・シリーズ」をデビューさせていた。
仕事そっちのけでウェブサイトのレポートを読み、写真の隅々をド拡大して覗き込み、ある確信を持った私はサタン笠原にさっそく連絡をとり、幾つかの質問の後その日のうちに真っ白い「デルフィーナ159」を発注かけたのだ。
その確信とは、
まず第一にサタン笠原が発する言動が信頼に値すること。
第二に「デルフィーナ159」が25年前に始めて乗ったファルフォーク製「ベルーガ」にフレーム構造や外形がよく似て「瓜四つ」であること。
第三に白いデッキ本体カラーが可能であること。
第四に溶着と縫製システムが選べること。(もちろんベルーガで経年劣化による縫い目からの浸水で10余年ばかりそれなりに苦労したので今回は溶着システムを選んだ)
そして第五に私ども一般人にとっての船体価格とコスト・パフォーマンスの高低価値である。もちろんパフォーマンスはハイ・クオリティであり信頼おける Made in Japan である。故にあらゆるトラブルに即対応が可能である、というより対応可能であって欲しい。
ということで9月下旬、さっそくサタン笠原と共に沖縄中部のとある無人島へ「デルフィーナ159」の進水式とテスト・パドリングを兼ねた2泊3日の久々2年ぶりシーカヤック・キャンプを、カミさんに見送られながら、堂々と某漁港を後にしたのだった。
念のためカミさんを安心させるため、1泊して明日夕方には戻るかも知れないという解りきったハッタリかましての船出である。今日のつきぬける様な青空に、明後日は新月、明日とあさっての夜は満天の星空である。しかも台風18号近づく3~4日手前、こんな絶好のタイミングを誰が一晩で戻るというのか、悪いがその気は微塵も無いのである。
無人島の漂着物は宝の山、シャネルなグラサン、ゲット!
浜辺のタイドラインには、漁具をはじめいろんな漂流物が打ち上げられている。絡んだロープ類から釣り具部分を取り出し「より戻し」を手に入れた。細びきを使い自在結びで長さ調節。漂着サングラスも創意工夫の遊び心で見事復活する。あの名作映画「パピヨン」のドガ役・ダスティ・ホフマンの壊れたメガネを彷彿させる。
ゴミと決めつけず「天からの贈り物」と想えばこれはこれでありがたいこと。それにしても釣り具類・漂着物のなんと多い事。釣り糸はもちろん釣り針さえも1ヶ月ほどしたら自然に還る天然素材に出来んンかねシマノ君、東レ、ダイワ君たち… お願いしますよ、良きミライを〜。